揚州、20kレース、鑑真

[旅程]8月21日7時半に上海南駅を出発、11時半揚州に到着、12時モーテル168にチェックイン、昼食、午後痩西湖、大明寺観光、夜、揚州パオバと交流会。22日5時揚州中心の文昌閣集合、5時6分出発、7時ころ記念写真。8時半朝食交流、その後个园見学、11時チェックアウト、11時半昼食交流、1時終了、1時半揚州出発、5時半上海到着。

小刻みの日程でしたが、充実した揚州でした。
今回の揚州訪問は収穫が大きいものでした。

1.揚州パオバの仲間とFace to Faceの交流ができたこと
2.揚州を20キロ走り、Half Marathonの下見をほほ体験できたこと
3.痩西湖、大明寺、个园など揚州の名所をみることができたこと
4.シャオハイ、グアントウと一緒に行くことで、「上海から行ったパオバ」の絆が深まったこと

今回は、本来上海の黒子訓練団(ランニング訓練部隊)が揚州に行きハーフマラソンの交流試合をする予定でした。それに私も便乗して参加申込したのです。しかし、参加者が少なくて中止になりました。私は、せっかくの機会であるし、ぜひ行きたいとシャオハイに頼み、先方と連絡をとってもらいアレンジをお願いしました。それが実現したのです。

揚州パオバの歓迎ぶりは予想を超えるものでした。それは「揚州―上海―東京」という3都市交流のランニング版でした。揚州パオバ設立1年という節目にあたり彼らも今回の3都市ランニング交流を契機に、パオバ内部の交流結束を固めようという狙いもあったようでした。

ですから、21日(土)の歓迎交流会、22日(日)の朝食交流会、22日(日)の昼食交流会では揚州の自慢する料理が並び、豪勢な料理で交流会を楽しみました。夕食交流会には30名ほどが参加。白酒、ビール、ぶどう酒とテーブルいっぱいの料理を囲んで飲み会です。話あり歌ありで、私も北国の春を歌いました。写真もバチバチ撮って交流会は最高に盛り上がります。

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揚州パオバの責任者はダーユとユンチュンの二人ですが、彼らの指導力によるところが大きかったようです。普段は近いもの同士5~6人で練習しているようです(揚州は人口460万人、市内は120万人の中都市です)。ですからこの機会にみんなが集まることは彼らにとっても一つの節目になったようでした。

さて、22日(日)は20キロ走です。20人が揚州の中心地「文昌閣」に朝5時ころ集合、記念写真をとっていっせいにスタートです。水補給と写真はボランティアがサポートしてくれます。本番並みの体制です。ここはハーフマラソンの起点です。「揚州鑑真国際ハーフマラソン」コースを今回は練習コースに設定してくれました。このハーフマラソンは大学生が大勢参加し、レース水準が高く質もよい大会なようです。

私はキロ5分10分のスピードで走るグループに混じってランニングです。コースは道路ですが走りやすいものでした。道路に自転車とかリヤカーの通るレーンがあってそこが朝はすいているのでランニングコースになります。道のでこぼこもあまりありません。10キロまではほぼ道なりに走っていきます。あとの10キロは痩西湖の周りを走り最後は揚州市体育場がゴールです。

この20キロ走では、私はトップグループに入って走りゴールには第2位で入りました。20キロのタイムは1時間38分02秒(キロ4分54秒)。前半10キロは50分52秒(キロ5分02秒)、後半10キロは47分40分(キロ4分46秒)。最後には揚州市体育場の400メートルトラックを2周してゴール。みんなに拍手で迎えられました。終了後は私のクールダウンで全員が身体をほぐしました。

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写真班のボランティアが写した写真をユンチュンのブログ「青的博客」でみることができます。

シドニーマラソンを1ヶ月前にして、20キロですが5分を切ってゴールできたことは自分の励みになりました。あとは東京に戻って30キロをレースペースで走り最後の調整になります。私はいままで20回以上フルマラソンに参加していますが、いつもジョギングの延長で走っていました。今回ほど練習してフルマラソンに望むことはありません。9月19日の本番が楽しみです。



今回1泊2日の揚州でしたが、3つの観光地に行きました。痩西湖、个园、大明寺です。痩西湖は細長い湖で、湖のほとりの散策は風景がよく素敵なところでした。歩いているとき、国家主席だった江沢民が書いた「詩画痩西湖」の文字も見つけ、そういえば江沢民は揚州の出身だったと納得。个园は竹と石が調和しながら園の美しさを作っています。

大明寺は鑑真のお寺です。歴史で習ったことがある人ですが、日常生活では名前すら忘れていました。教科書で見たことがある鑑真和尚の顔写真が私の目の前にいます。鑑真は奈良時代に日本にわたり仏教を普及、彫刻や薬草の普及でも知られています。鑑真は日本に行くことを試みましたが5回も失敗し、最後に失明もしたようですが、6回目で成功。この時代、日本の僧の中国留学が盛んだったようで、鑑真にぜひ日本に来て仏教戒律の普及をしてほしいと要望していたようです。日本に行くことを決意して、日本では帰化して、仏教、中国文化の普及に寄与しました。日本の今の発展の姿も元をたどれば、このような歴史と伝統の蓄積の上に成り立っているのかもしれません。

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鑑真のお寺である大明寺の境内を歩いているとき、自分はランニング、マラソンを通じていま、揚州の人たちと交流している。時代を引き継ぎ、スポーツで日中交流に寄与している自分に不思議な縁を感じました。
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by xiyuannei | 2010-08-23 10:59 | ランニングは楽しい
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