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北京国際マラソン

10月17日に北京国际马拉松があります。

一昨年の2002年北京マラソンはインターネットで申し込んで4 泊5 日で参加しました。今年も参加したいのですが、この時期は仕事がタイトでいけません。次回の海外マラソンは来年2月の香港マラソンにしようかと思っています。

今年の北京マラソンの申し込み締め切りは9月25日。北京を走りたいという人への情報提供です。北京マラソンの参加申し込み先と、一昨年、私が走ったときの感想です。

北京マラソン  
http://www.cits.net/travel/travel/marathon2003/marathon-1.jsp

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■2002年北京マラソンの感想■

北京は10月15日過ぎから一気に寒くなると聞いていた。ここ北京に18日に着いたが2~3日前から急に寒くなったという。確かに街を歩いている人はもうほとんどの人が冬物を着ている。上着を着てきてよかった。しかも小雨がぱらついている。旅行者には迷惑な雨だが、現地に住んでいる人の話では「この小雨は恵みの雨よ」と喜んでいた。理由は空気が乾燥しており、それに含まれた砂がのどを通ると咳き込むらしい。春には2カ月ほど激しい黄砂があるが、今は、規模は小さくても秋でも砂が飛んでくる。現地の感覚では砂漠地帯の一種だ。

いよいよ明日は北京マラソンなので、今朝はホテルから天安門まで50分ほど軽いジョッグをした。土曜にもかかわらず、自転車が多い。その自転車の流れに合わせて走る。これが経験的に一番安全だ。天安門はすでに地方から来た観光客でいっぱいだ。30~50人ほどの団体が赤い帽子、白い帽子をかぶり団体であるいている。胸には旅行会社のバッジをつけて。

広場内を走っていて、思わず見えない細い紐にぶつかりそうになる。その脇を見ると老人が座ったまま凧揚げをしている。糸の先には見えないほどの大きさで凧がじっとしている。何百メートルあるのだろう。あたりを見渡すと何人も凧揚げをしている。これも北京風物の一つだ。

17日(木)の18:55のNAで成田をたった。夜10時過ぎには北京空港に着く予定だった。機内でニューヨーク帰りだという男性画家と話していてまったく気がつかなかった。彼が突然、大変な問題になった、という。何だ、ときくと、この飛行機は北京ではなく、上海に向かっているという。“えー冗談だろっー”、しかし隣の中国人女性も“上海に向かっている”という。すぐ日本人アテンダントを呼んで理由を聞いた。それによると北京空港は雷がひどくて降りることができない、一旦上海まで行って燃料補給するということだ。これにはまいった。結局、上海まで行きそこで入国手続きなどして、北京空港に着いたのは夜中の3時35分だった。それからホテルまでタクシーで行く。着いたのは朝方の5時半だった。こんなハプニングはアメリカのシアトルの空港以来だった。しかし、乗客は誰一人不満を言わない。

そんなことで金曜日はあまり寝ないまま午前はマラソンの受付に行き、そのあと本屋で環境に関する本を買い込み、お昼にホテルに戻った。午後、北京環境ボランティアネットワークの方々と話しをして、夜は御隆北京ダック店(朝陽区)に行く。ホテルに戻ったのは21時半だったので早めの22時過ぎには床に着いた。

19日は走ったあと、シャワーを浴び、その後、西単(しーだん)のスターバックス(星巴克コーヒー)でコーヒーを飲みながらdiaryを書いた。そうそう、朝飯は吉野家だった。19.5元だが、1合ほどのご飯の上に鶏肉、豚肉、にんじん、ブロッコリなどの野菜がのっている。マアマアうまい。支店はすでに20くらいあるようだ。中国人もこのようなものを食べる時代になったのだ。10年前、シンセンに行ったとき5元くらいで食べたあの食堂が思い出される。

相変わらず北京は工事が多い。オリンピックに向けた街の整備が進んでいる。北京はどこまで変わるのだろう。北西100キロほどの所まで砂漠が来ていて、あと数十年もしたら北京も砂漠地帯になるかもしれないという。砂漠になる前にしなくてはならないことがたくさんあるだろう。これだけ街を整備して建物をたてているのは砂漠化に勝てる確信があるのだろうか。北京に住んでいる日本人の話しでは北京の街の行く末に悲観的だった。この広大な土地、どこの都市に行くにも飛行機を使わないと不便な地勢では北京の“遷都”はその機能さえ備わっていれば他の地でもかまわないのかも知れない。しかしこれは歴史が証明するしかない。

そもそも北京マラソンは参加する意思はあってもいつにするか決めていなかった。今回決めたのは仕事の間合いがちょうど良かったこと、Tさんのお勧めがあったこと、日中国交正常化30周年という年なので即、決めた。その際、全部自分で申込をしてノウハウを身に付けようとおもった。格安航空券、インターネットによるエントリーと宿の手配など。こうして振り返るとほぼ計画通だった。NWが上海に行ったことと、400元落としたことを除いて・・・・。

10月20日(日)は北京国際マラソンだ。

3時間28分でゴールイン。「やった」という想いがある。目標は3時間30分だった。

スタート会場の天安門広場には8時20分についた。もうランナーが並んでいる。並んでいる先頭にいったがその紐は前にでて、係りが早口の中国語で「紐の前に出るな、紐をひっぱるな」など話している。テレビカメラが回ると「わー」という声が起きる。世界各国から参加しているこのマラソンはさながらお祭りのようだ。

9時に歓声があがり9時01分にスタート。どこかでスタートの音を鳴らしたのかも知れないが、皆ぞろぞろ動き出したので僕も動いた。さあ、いよいよ42.195キロの旅だ。足取りも軽く、デジカメであちこち撮りながらスタートした。沿道には市民が一杯。マンション、アパートからも顔を出してみている。主催者によると、応援200万人、テレビなどで見ている人が1億人というがあながち嘘ではないな、という感じを受けながら走った。

6キロ付近だろうか、「Nさんではないですか」という声で振り返るとそこには知人のTさんが・・・・。程なくもう一人のランナーが来て、その二人をデジカメで写す。しかし、8キロ付近でトイレに寄った時から、二人には追いつけずそのままゴールになった。Tさんは3時間25分台、もう一人のランナーは3時間27分台だったという。

マラソンコースはほとんど平地で歩道橋のみが坂になっていた。だから走りやすい。1キロごとにスタンド標識が立っているのでペースもつかみやすい。30キロあたりまでアメリカ人3名について走った。彼は1キロごとに時計を押していてそのたびに4分45秒、4分43秒などと話していた。1キロ5分弱で走る予定でいたがやはりそのくらいのスピードだった。

30キロ過ぎ、アメリカ人が水を取りに右サイドのテーブルに向かうと僕一人になった。ついていくべき人がいなくなったときに日本人の小柄な女性が追い越してきた。「これはついていかなくては・・・」とおもい、その人にピタッとついていく。彼女は最後までペースを変えなかった。これが僕が今回3時間28分を出せた要因だった。けっこうきつい時もあったが全体として調子がよかった。39キロ地点でチョコレートを取り出して食べた。そのタイミングの悪さで彼女との差ができ、ゴールでは100メートルくらい開いたまま入ってしまった。反省のチョコレートだった。

しかし、ゴール後もまだ走れる位の余裕があり爽快な気持ちだ。ゴールにはTさんともう一人のランナーがいたので挨拶したあとデジカメで3人をショットした。

気温はやはり寒い方だったかと思う。走っている時には気がつかなかったが、ゴール後は寒気がしてきた。幸い大きいタオルをくれたのでそれを羽織る。自分にとってはありがたい完走賞品だ。ホテルまでそれを羽織っていく。

ゴールで貰ったものはタオルと水、会場出口でもらったものはメダル、バナナ2本、チョコレート、お菓子、ペットボトルのジュースだった。ゴールが正午過ぎなのでお腹がすいた。これはいい完走賞品だった。

ゴールの脇に今回の申込受付団体のブースがあった。そこでSha Mingが事務をしていた。記録測定のバンドを返却しデポジット100元を返してもらう。そして北京マラソンは終わった。

スタート  Tiananmen Square(天安門広場)
ゴール    Sports court in the National Sports Center(オリンピックセンター)
フルマラソンエントリー 38カ国2477人(男2059人、女388人)
うち日本人71人(男64人、女7人)(秩序冊から)
by xiyuannei | 2004-09-10 06:47 | ランニングは楽しい
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