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見えないが、不思議な秩序がある街マニラ

1998年11月某日  見えないが、不思議な秩序がある街マニラ
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98年11月、5泊6日という短いフィリピン旅行をしました。

フィリピンは初めて行った国です。今まであまり私の意識にはなかった国ですが、大阪からノースウエストの直行便が出ているのでマイレージを使い行ってみました。帰りは3時間6分。ビールを飲んで食事して映画を見てまたビールを飲むともう関空に着陸体制です。私のマラソン記録は3時間18分なので、走っている間に着いた感じでした。

行く前に予約を済ませてからメーリングリストを読んで思ったことは、「新聞ネタにならないように安全面で注意を払おう」ということでした。ホテル、迎えのタクシーなど全部E-Mailで予約したのですが、何せ18:30発、マニラの空港に着くのは21:40という結構危ない時間での行動。結果は無事に帰国できました。しかし帰りの飛行機でManila Standardを読んでいたら「Japanese guest falls from 5th floor of hotel」の見出しがあり、同室にいた若い女性にポリスが聞いたは話しでは「元気だし幸せそうだったけど・・・」と載っていました。何が起こるかわからないマニラ、無事に帰れてホッとしましたが、今までの海外旅行で一番緊張感を感じました。

5泊6日の生活は毎日が印象に残りました。

22日(日)夜、関空発、若干遅れて現地時間22:00頃マニラのNAIA空港(Paranaque)に着き、市内のPalm Plaza Hotel(A.Mabini,Manila)にチェックインしたのは23:15頃。でも、無事にホテルに着くことができました。空港の出口に私の名前がついたプラカードを持った男性がいました。出迎えの確認が出来た時は「やれやれ」と思ったものです。スロープを降りて完全に空港の外に出ましたが、夜のため周囲は真っ暗状態。「この状態で車をつかむのは難しいな」と改めて500ペソで出迎えを予約しておいて良かったと実感。

23日(月)お隣りのManila Midtown hotelでMayorのConference開催中なので覗きにいってみました。President Estradaが来るというので各ブースでは政府の各省庁が自分たちの仕事の宣伝をしていました。午後、フィリピンで、定年後のロングステイ提案をしている小松崎憲子さんとHeritage Hotelで待ち合わせ。フィリピン永住を考えているKご夫妻が調査のためにマニラに来ていて、私も一緒に行動させていただきました。小松崎さん宅を訪問して、マニラの生活環境、永住の条件などをナマに聞かせていただきすごく参考になりました。SMという大きなショッピングセンターも2箇所車で案内していただく。

24日(火)フィリピンメーリングのオフ会に参加。15日ほど前に「マニラのことなら何でも・・」というFさんにメールでホテルを頼みました。OKの返事とともにフィリピンメーリングリストがありますよ、という情報をいただき早速登録。そのオフ会が11月24日に開かれるということで参加申し込みしました。「ハンドルネーム○○の××です」で始まったこのオフ会はミスキタさんが幹事役。参加はKeikoさん、Misaoさん、Mさん、Oさんと愛娘、Fさん、Aさんご夫妻、Sさんご夫妻と二人のお子さん、Oさん。ここでも現地で生活しているビジネスパースンからリアルな話しを聞くことができました。

25日(水)オフ会の時、KさんとMさん(World Interactive Network System=WINSという、現地のケーブルテレビのキャスターの方)から、「明日、ゲストで招待しますから今回のフィリピン訪問の印象を話しませんか」とお誘いを受けました。即OKの返事をして、25日Century Park Sheraton Hotel(infront of Harrison Plaza)にあるRm506スタジオを訪問して、25分ほどインタビューを受けました。まさか、テレビに出るとは思わなかった。収録後、夜10時から12時まで放映された番組を見て、やはりテレビには似つかわしくない自分を発見。その後はSunette Tower Hotel(northpart of Makati Avenue,Makati)に1年以上ステイしているFさんと夜のマカティに飲みにいきました。

26日(木) 24日のオフ会の2次会はカラオケ。向こうのカラオケは一人ひとりに女性がつきます。しかも30名程いる女性から一人選ぶのだから、これは偶然の出会い。その時出会ったPerlitaと26日シャングリラホテルで待ち合わせしました。シネマスクウエアでボーリングした後、フィリピンの普通の生活、家庭に関心があったので彼女の家を訪問。Makati CityのSouth Cemboですが、タクシーが乗車拒否します。「運転手があまり行きたがらないようなところなのかな?」と思いながら、7~8台後やっとタクシーをつかまえました。彼女の家の近くに着くと集合住宅が密集していて道端ではたくさんの子供たちが遊んでいます。家はコンクリートで造った4軒続きの長屋で、道路から一番奥。1メートルほどの幅の道には洗濯ものが干してありそれを掻き分けながら着きました。家は一階、2階とも8畳ほどの部屋しかありません。そこに11人住んでいます。1階は居間でそこにテレビ、箪笥、テーブル、台どころがあり、その部屋にくっついて一畳ほどのシャワーとトイレがありました。なんとこの家に両親、お姉さん夫婦(2組)、その子供4人、全部で11人が寝起きしているのだ。「せまいけど・・・・」と言いながら連れていってくれたのですが、本当に狭い。でも住んでいる家族はみな元気いっぱい。笑顔で歓待してくれました。あたりまえですが通常はタガログ語、しかし皆、英語を話します。はじめてフィリピンに来たのに、マニラの家庭を直に体験できたことはラッキーでした。

27日(金)朝、7時半にはホテルを出て空港へ、ということで全くの移動日。


今回事前にしたことは、インターネット経由でホテル(2ヵ所)の予約、空港へのタクシー出迎え、25日のオフ会と小松崎さんに23日午前に電話する約束だけ。一日ごとの計画は何もつくらなかったのですが、振り返ると、一日一日良い体験ができたマニラ旅行でした。

それにしてもマニラは日本とは違う。

・デパートなど入り口には自動小銃をもった警備員が必ずいる。
・シネマスクウエアでは「街を案内してあげるよ」と日本語で話しかけてきたフィリピン人がしつこくまとわりついて、断わると腕捲りして入れ墨を見せて脅かしはじめた。
・マニラ市内はいわゆるポン引きが多く、街をゆっくり歩けない。
・メトロマニラは交通渋滞が激しく移動が大変。断水などもありいわゆるインフラ整備が弱く、これが経済活動効果を抑えている一要因にもなっていると感じた。
・マニラのBonifacio Driveを北上しながらランニングしたが、歩行者道路がないので走りにくく、途中横断した川にはごみがたくさん浮いていてそれがマニラ湾に流れていくという環境問題を感じた。排気ガスもひどく、鼻をハンカチで押さえながら歩く女性がずいぶん多い。
・カメラで街の風景を写したかったが、とてもカメラなどの貴金属を表に出せるような雰囲気でない。
・10000円の両替が空港の銀行で2900ペソだが、市中の両替屋さんでは3220ペソだった。
・マニラはいわゆるメトロマニラの一地域であり、通常はメトロマニラの表記でマカティなどいくつかの市で構成されており結構大きい地域をさす。
・メイドはほとんどの日本人が雇用しており月2000ペソから3000ペソの月給、運転手は4000ペソほどでいわゆる人件費が安い国である。(カラオケ屋のPerlitaは月5000~10000ペソの収入でそれで11人の一家を支えている。だからお金の借り貸しでとにかく生活をつないでいるということだった)
・○○Villageというコミュニティがたくさんあり、そこは街全体を柵で囲ってあり、中に入るには検問が必要。すなわちコミュニティ全体で安全を確保している。(逆にわれわれ観光客がいる普通の空間は必ずしも安全ではない)
・家賃はけっこう高く、オフ会出席のある人は一軒家で月4万ペソ(約12万円)の家賃、Kさんの自宅は2階建て170平方メートル位を1500万円で購入。

はじめてのマニラなのでレポート形式になりました。きっと、マニラおよびフィリピンにはこれからも行くことになると思うので特化したテーマで情報をアップできると思います。フィリピンのあの温暖な気候、5万ドルの積立で確保できる永住権。「アナーキー」と言えるほどマニラの複雑さと何かわかりませんが確実にある「秩序」。どこまで信じていいかわからない人の良さ。他の国にはない魅力を感じました。

いま流行っているというポップシンガー、APRIL"Boy"REGINO、Jessa Zaragoza、Gray Valenciano、Regine Velasquezを聴きながら・・・・・・・・・。(98.11.28)
by xiyuannei | 2001-01-03 05:47 | 旅・留学の雑感あれこれ
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