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51年目というチャレンジ

7月12日(土)、『人民中国』創刊50周年記念シンポジウムが飯田橋の日中友好会館大ホールで行なわれた。SARSの影響で北京で6月におこなわれるはずの祝賀会が9月に延期されたため日本での開催が先になった。

プログラムはかなり豪勢で、「日本の中の中国」という共通タイトルの元にパネラーがそれぞれ得意とする“作家・人物”と取り上げて、両国の関係性を紹介していた。藤井省三先生(東京大学)は「村上春樹」、毛丹青さん(作家)は「倉田百三」、王敏先生(法政大学)は「宮沢賢治」、立松和平さん(作家)は「道元」だった。総論としてシンポ進行役の丹藤佳紀先生(東洋大学)が「日本の中の中国」を報告していた。

討論はどうなるのか、と思いきや「若者論」になった。中国の若者は何を考えどう行動しているのか。かなり盛り上がった討論になり僕も発言したかったが、会場発言は受け付けない、とのことで残念であった。

会場は300人ほどの参加者で満杯。素直に『人民中国』を祝う人たちが集まったのだろうが気になったのはほとんど年配者であったことだ。主催者に聞くと参加者の平均年齢は60歳であり、まさに、50年の歴史を感じさせる読者の集まりだ。しかしこれでは将来はない。その人たちが雑誌を読めなくなるときには『人民中国』も終わりになる。しかも、これも聞くところによると1万部ほどしか読者はいないらしい。完全にミニコミ誌の世界なのだ。

今、日本人の中国への関心は高い。旅行、語学、食べ物、ポッポスなどのサブカルチャー、あげればキリがない。しかし、『人民中国』は新しい読者、特に若い読者をつかまえられずにいる。編集の努力をしているのが、いまひとつ勢いがでない。もっと斬新な変化が必要だ。この雑誌はいわば、国の公報的な役割も果たしているようであるから、記事内容に一定の制限があるのかもしれない。また、「独算化」なのでかける金もないと聞いている。さて、どうするか。僕が悩んでもしょうがないことではある。しかし関係をもった以上何とかしたい、と思うのだ。

そもそも雑誌そのものの成り立ちが、時代にあったテーマを追求し役割を終えたらまた次のテーマで雑誌を創刊するものである。それをしないで、頑張るのだからかなり無理がでる。51年目というチャレンジに『人民中国』が立ち向かっている現実を側面から応援したい、そんな気持ちをあたらにしたシンポジウムであった。
by xiyuannei | 2003-07-25 07:31 | 読書は他者の経験の共有
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