カテゴリ:日中の雑感あれこれ( 35 )

上海地下鉄10号線

昨日、上海の地下鉄10号線で追突事故があって多数のけが人がでました。幸い時速10キロ程度のスピードの時に追突事故を起こしたので死者がでるほどは至らなかったようです。この夏、上海に行っていたときにこの10号線はよく利用していました。留学していた上海交通大のそばにあり、駅名も交通大学です。

交通大から外灘(バンド)まで約10キロ、更に豫園まで走って、片道約11キロ。これを走って帰りは豫園駅から交通大まで地下鉄10号線で帰ってきました。また、松江区付近の友人のところに行くのに10号線で行っていました。今走っている11本の地下鉄のなかでも利用頻度が高い地下鉄でした。

ですから、事故のニュースを聞いて驚きました。1号線、9号線もよく利用していましたが、おりしも鉄道事故があった時期なので、「この地下鉄は大丈夫かな」と思うこともしばしば。こうして事故が現実のものになると、さすが、「大丈夫かな」という気持ちがさらに身近なものになります。

向こうで中国の友人が言っていました。「オバマは経済不況で謝り、管は福島原発で謝っている。そして胡錦濤は鉄道事故で謝っている」。今回は列車事故が続いたので、中国は信頼回復にさらにエネルギーをついやしそうです。

追突事故ニュース

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by xiyuannei | 2011-09-28 04:10 | 日中の雑感あれこれ

中国の学者100人が意見広告

日本に手を差し伸べようと中国の学者100人が意見広告を出した。
日本のHPで知ったので、原文にあたりました。
大変嬉しい、心強い連帯です。

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百名中国学者倡议:让我们向日本伸出温暖的手

http://www.huanqiu.com
2011-03-16 08:16环球时报我要评论
惊闻日本东部遭受人类观测史上罕见规模的地震、海啸袭击,我们为“东日本大震灾”的罹难者而哀痛,我们和失去亲友、家园的人们一样伤心!


  中日民族有2000多年交往之谊,惟近代殖民主义战争创痛巨深,今天,虽然历史遗留问题不时造成国家间政治的摩擦,但克服民族心智成长过程中的宿命困难,需要相互砥砺良知和仁爱。我们两国一直有草根国民、知识分子、企业家、政治家在努力。


  自然灾害使人类的道德产生超越,而面对自然灾害的相互援助也能成为历史和解努力的一部分。2008年汶川大地震时日本救援活动和国民募捐的感人场面尚历历在目,当今日本国难之际,中国政府已表达了诚挚的关切,中国救援队也以最快的速度在第一时间赶赴至灾害现场。但看到地震、海啸造成的地狱般凄惨画面,听到核电站爆炸的恐怖消息,我们对人类生命在自然和高技术灾难面前的脆弱和无助感同身受,我们作为个人也需要立即行动起来,和日本民众一起承受痛苦、战胜灾难!


  我们在此以普通公民的身份倡议,让我们各自以尽可能迅速、有效的行动,了解各种募捐的渠道和作为国际志愿者参与救援的方式,伸出我们中国人温暖的手,奉献我们中国人仁爱的心!日本人民是坚强的,我们中国人民的爱心和援手会成为他们更勇敢面对灾难的信心和力量! ▲(原题:让我们向日本伸出温暖的手———100名中国学者的倡议书)


  倡议者名单如下


  (按姓氏笔画排名):

  丁红卫 北京外国语大学副教授
  丁 旻 四川外语学院副教授
  卫志民 北京师范大学教授
  于铁军 北京大学国际关系学院副教授
  王缉思 北京大学国际关系学院院长
  王亚新 清华大学法学院教授
  王 成 清华大学外语系教授
  王中忱 清华大学人文社会科学学院教授
  王彦花 清华大学外语系教授
  王晨光 清华大学法学院教授
  王世文 内蒙古财经学院副教授
  王荣梅 四川外语学院副教授
  王宗瑜 四川外语学院副教授
  王晓敏 北京大学第一附属医院主治医师
  孔 安 中国建材工业规划研究院副院长
  牛大勇 北京大学历史系教授
  归永涛 北京大学国际关系学院副教授
  吕耀东 中国社科院日本所研究员
  吕丽塔 北京林业大学外语系副教授
  冯昭奎 中国社科院日本所研究员
  冯 峰 清华大学外语系教授
  刘建平 传媒大学国际传播研究中心副教授
  田 桓 中国社科院亚太所研究员
  石源华 复旦大学国际问题研究院教授
  石长慧  中国科技发展战略研究院助研
  孙 哲 清华大学中美研究中心主任
  孙 歌 中国社科院文学研究所研究员
  达 巍 中国现代国际关系研究院副研究员
  刘 兵 清华大学科技与社会研究所教授
  刘精明 清华大学社会学系教授
  刘晓峰 清华大学人文学院副教授
  刘 渤 北京大学国关学院副教授
  成 波 清华大学汽车工程系教授
  庄英甫 清华大学日本研究中心学者
  张颐武 北京大学中文系教授
  张胜军 北京师范大学教授
  张志洲 北京外国语大学副教授
  张宇宙 清华同方副总裁
  张新军 清华大学法学院副教授
  何 辉 传媒大学舆情研究所副所长
  汪晓志 八一制片厂研究室研究员
  李秀石 上海国际问题研究院研究员
  李 文 中国社科院亚太所副所长
  李廷江 清华大学日本研究中心教授
  李 勇 清华大学精密仪器系教授
  李湘萍 北京大学护理学院副教授
  李翠英 北京大学口腔医院教授
  李曙霞 首都医科大学主治医师
  李 佩 清华大学日本研究中心学者
  李 利  北京大学护理学院学者
  李铁军  北京大学口腔医院医生
  吴怀中 中国社科院日本所研究员
  吴小璀 北京语言大学副教授
  余万里 北京大学国际关系学院副教授
  陈开和 北京大学新闻与传播学院副教授
  陈爱阳 清华大学外语系副教授
  陈新宇 清华大学法学院副教授
  杨 伟 四川外语学院教授
  杨 萍  北京大学护理学院学者
  宋月华 中国社科院图书事业部主任
  金灿荣 中国人民大学国关学院副院长
  林来梵 清华大学法学院教授
  林晓光 中共中央党校战略研究所教授
  季林红 清华大学精密仪器系教授
  尚小明 北京大学历史系教授
  欧阳皆 白求恩医科大学教授
  罗国忠 四川外语学院教授
  周 坚 协和医科大学教授
  周院强 清华大学继教院教授
  孟雪梅 天津医科大学副教授
  庞 冬  北京大学护理学院学者
  庞淑珍  北京大学口腔医院医生
  陆 悦  北京大学护理学院学者
  闻 一 中国社科院世界史所研究员
  段进宇 清华大学建筑学院高级工程师
  胡 澎 中国社科院日本所研究员
  赵可金 清华大学中美研究中心副主任
  赵戈非 四川外语学院副教授
  袁本涛 清华大学教育研究院副院长
  袁东辉  北京林业大学学者
  郭世佑 中国政法大学教授
  郭连友 北京外国语大学教授
  郭庆志  北京大学肿瘤医院医生
  袁 雪 北京交通大学副教授
  晋学新 四川外语学院教授
  秦 岚 中国社科院外文所副研究员
  唐先容 四川外语学院副教授
  夏 夜 四川外语学院副教授
  贾 文 四川大学经济学院副教授
  温宗国 清华大学环境系副教授
  雷建锋 外交学院学者
  路 浅 北京大学护理学院教授
  群 英 四川外语学院副教授
  裴晓梅 清华大学社会学系教授
  蔡佳禾 南京大学中美文化研究中心教授
  谭建川 西南大学外国语学院副教授
  黎 宏 清华大学法学院教授
  滕 军 北京大学外国语学院副教授
  瞿 强  中国人民大学金融系教授
  戴福民  北京林业大学学者
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by xiyuannei | 2011-03-16 15:28 | 日中の雑感あれこれ

90後

今回、上海で開催された見本市では多数の日本語ができる中国の大学生がアルバイトで業務にあたっていました。

私たちのブースでも、ブース出展申込の際、日本語ができる通訳さんを一人予約しました。1日6000円です。
彼女は上海貿易大学の3年生で、国際ビジネスを勉強しており、卒業後は日系企業で働きたいと言います。日本語はほぼ完璧ですし、物覚えも速いので、大変助かりました。彼女のクラスメートは5人今回のアルバイトに来ています。昼休みになると友達一緒に食事に行き、夏休みはバイトと勉強という感じです。

もう一人紹介したいのは見本市の総合案内に配置された学生です。彼女は上海外語大の2年生で9月からは3年生になります。
今回展示商品を大きなバッグ1つ分を持っていきました。上海の虹橋空港の税関で中を調べられ、1万元預けて、商品見本も税関を通してもらうことがでいることになりましたが、その手続きにこの上海外語大の学生が立ち会ってくれて、比較的スムーズに事務処理が進みました。そして展示会を終えて、帰国の際の税関時も立ち会ってくれ、無事,保証金の1万元は戻ってきました。彼女がいなかったら事はスムーズに行かなかったでしょう。彼女の母親が税関の職員で、一言電話をしてくれたことも幸いしたかと思います。

帰り際に話していたときです。
もうすぐ3年生だね、じゃ19か20歳かな?
いいえ、17歳です。
え、17歳。どうして・・・。だって今度3年生じゃない。
実は小中高と一貫教育の学校に通ったので、大学に16歳で入ったのです。
じゃ、2年間はどこで・・・
小学校は4年間でした。中学は3年、高校も3年です。

知らなかったのですが、日本では6年間通う小学校ですが中国では4年間で修了する教育体系もあるのですね。

日本では「80後」が」話題になっています。最近では「90後」ということも話題ですよ。
私は1991年生まれですので、「90後」ですね。

すごくしっかりした学生だったので、まさか17歳とは思いませんでした。そしてその「90年後」が目の前にいる・・・。

中国の新しいエネルギーを感じる「人との出会い」でした。

(彼女にはこのBlogを教え、メルアド交換もしてきましたが、このBlogは中国からは見ることはできません。将来日本に留学したときに見ることができるのかも知れません)
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by xiyuannei | 2009-08-12 07:39 | 日中の雑感あれこれ

加藤さんの就任を祝う会

9月10日 (水曜日)  晴れ
今夕の走行距离:  10km
今月の走行距離:  103km
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本日の7キロは39分49秒。
昨日より52秒短縮しました。
まずは40分を切ったのがいいところです。
今朝は、腕振りを意識してランニング。
特にひじをグーと後ろに引いて、振りを大きくしました。


昨夜は日中友好協会の会長に代議士の加藤さんが就任されたので、祝う会を行わせていただきました。私の所属するサークルですが、加藤さん、秘書含めて総勢18人のこじんまりした会でしたので、じっくり話をしたり聞いたりすることができました。
日曜日をはさんで北京に行き、胡国家主席、唐前国務委員外交担当部長など40数時間で7人の方々と懇談してきたという加藤さんはお元気そのもので、大変エネルギッシュ。今後、日中友好のさまざまな場面でご活躍されるでしょうから、楽しみです。
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by xiyuannei | 2008-09-10 06:10 | 日中の雑感あれこれ

日中講和条約はまだない、という話

今日の午後は、殷燕軍先生(関東学院大学の)日中の戦後史に関する講演を聞きに行きました。講演テーマは「戦後日中講和と今日の日中関係~日中関係の過去と現状、そして未来を考える。」ちょっと難しいテーマです。それでも15人ほどの参加者でした。

先生の要約的な話は、
1.日華条約は日本が主権国家になる前に日本と台湾で結んだ。
2.台湾政権は中国を代表しない。
3.1972年の日中の共同声明段階で日華条約は無効になった。
4.1978年の日中平和宣言でも日中の戦争終結の宣言はしていない。
5.1972年の日中正常化の時、中国国民は必ずしも「日中正常化」を望んでいない。
6.日本と中国は「玉虫色の外交」をしている。

あまり現代史を知らないので、中国と日本の関係史もあまり知りません。しかし、今日のお話を聞いて、中国に関心を持つものとして、52年のサンフランシスコ講和条約、52年の日華条約、72年の共同宣言、78年の平和条約なども理解しておかないといけないな、と痛感しました。
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by xiyuannei | 2007-12-09 18:53 | 日中の雑感あれこれ

ある中国人声楽家

最近日本に留学してそのまま日本で声楽家として仕事をしている女性の話を聴く機会がありました。とても感動的な話でした。

◆ある中国人声楽家

日本に来て音楽活動をするようになるとは思わなかった。しかし、青春を過ごした日本は自分の第2にふるさとになった。

<運動することも歌を歌うことも好きな子供時代>

Cさんは子供のころから歌が好きな少女だった。いつも口ずさんでいた。運動面で長けていて、小学生のころは走り幅跳びの選手として活躍した。選抜されたメンバーで構成されたそのクラブで練習をする時も常に歌が自分にあった。

親の転勤で違う学校に行った時はハングライダーをやった。これも全国から選ばれた若者がクラブに入り専門的に訓練した。この時もいつも歌を口ずさんでいた。

ハングライダー訓練で足を折ってから、その運動は止めた。その後「下放」で田舎の勤務になった。この時も歌が自分にあった。半年位したときに転機があった。それは隣の市の芸術団が公演にきて幹部が皆、Cさんが働いている旅館に泊まりにきたことだ。

幹部の一人がCさんの口ずさんでいる歌声を聞いて、「我々の前で歌ってみてくれないか」という。その後「うちの芸術団に入ってくれないか」と話があった。Cさんはその芸術団で事務とソリストをやった。

<自分のやりたいことを固めた大学時代>

ある日父が「すぐ戻って来なさい」という。ホントに急な話だったが翌日言われるままに戻った。そうすると「音楽系の大学を受験しなさい」という。そのようなことを一時たりとも考えたことはなかったが、勧められるままに受験した。結果は見えていた。声楽実技は良かったが他はダメだった。ピアノは弾けない、音楽に関する知識は少ない。教科科目もぜんぜんできない。当然落ちた。

しかしこの時ほど悔しい思いをしたことはなかった。再受験に向けてもう1年チャンスをもらった。一生懸命勉強した。翌年大学に合格した。

こうして、「自分は何をやりたかわからない」「自分は何が出来るのだろう」ということから、「音楽」に方向が定まった人生が見えてきた。

大学の4年間は毎日勉強、勉強で辛かったが楽しい4年間でもあった。卒業後、地元の芸術団に入団した。これは全国でも一つしかないユニークな芸術団だった。その芸術団のソリストとして全国を回った。子供の頃から軍服にあこがれていたので、誇りと自信に満ちた時期だった。

しかし、この芸術団は国のために奉仕することを任務としていた。自由な時間がなかった。人間関係もギクシャクしてきた。もう、この芸術団で続けることは精神的にも肉体的にも限界だった。

<日本でも進路は音楽人生>

次の自分を考えているところに、友達の友人が日本にいて、「日本に留学しない?」と誘いがあった。今の場所を離れて新天地で可能性をみつけたと思っていたCさんは両親、親戚を説き伏せて単身、日本へ渡った。1992年のことだった。

成田について新宿行きのリムジンに乗った時の日本人の親切が忘れられない。 日本に来る前に少しは日本を勉強してきた。しかし、新宿行きのチケットを買う時にCさんは1枚買うつもりのところを「2枚下さい」と言ってしまった。何も知らないCさんは2枚分のお金を出してチケットを受け取った。そしてバスに乗った時に運転手が「一人ですか。じゃ、間違って買ったね。ちょっと待って」と言って、1枚を換金してきてくれた。この親切は日本に来てすぐ体験した親切であり自分の日本人に対する思いにもつながった。「私は日本で頑張ろう」と。

新宿で1時間待って現れたのは友達ではなくて、友達の知人だった。友達は急用でこないとのことだった。そして連れて行かれたのは明大前の近く。結局その近くに4畳半2万5千円のアパートを借りて6年間住んだ。

日本語学校を探し、西武線沿線にあるK学校に通った。その学校は韓国、アフリカなどいろいろな国から来ていたが中国はCさん一人だった、後で聞いた話しでは、「中国人は信用できない」とのことだった。Cさんは頑張って勉強した。1年半いたが、最後のほうでは校長もCさんを認めてくれた。「中国人に対する偏見が取れたよ」。嬉しかった。自分の頑張りが相手のモノの観方を変えた。

大学探しをした。校長は「経済に進んだらどうですか。音楽は食っていけないよ」とアドバイスしてくれた。自分にあるといえば、中国の芸大で学んだ音楽=声楽だった。

<日中でソリストとして生きる人生>

パンフを集めて音楽系の大学を探した。自分の目にかなったのはTG大とTH学園だった。結局タイミングの問題がありTH学園に聴講生で入学した。しかし、聴講生でも勉強は厳しい。1年後、これからどうする、という時に「研究生にならないか」と声がかかった。試験を受けて「研究生」=大学院に入学した。こうしてTH学園でも4年間が始まった。

TH学園での4年間は更なる日本語学習と音楽研究とアルバイトでの学費・生活費稼ぎだった。すごく大変な毎日の連続だった。しかし、「ここで負けてなるものか」と持ち前の「頑張りや根性」で乗りきった4年間だった。

大学院卒業後、国に帰って音楽活動することも考えたけれど、自分の意思で、日本でメゾソプラノのソリストとして生きていこうと決意。それからまた日本での苦難の生活がはじまった。

「自分は何をしに日本に来たんだろう」「自分は何をやっているのだろう」と自問する時がある。その時には「自分は小さい頃から歌が好きな女の子だったんだ」「中国の芸大で声楽を勉強しソリストとしてやってきた」「そしていま、自分はプロのソリストとしてどこまでやれるか挑戦している」こんなことを想い、自分の現在地を常に確かめている。

将来は、日本と中国の音楽芸術を通じた友好の架け橋的な活動をしていきたい。こんなに好きになり愛着を感じている日本だから、日本と中国を行き来しながら音楽人生を送っていきたい。

Cさんは来日15年を前にして心新たに次への目標を決意しているようだった。
(2006年11月)
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by xiyuannei | 2006-11-15 07:39 | 日中の雑感あれこれ

フートン

私の住んでいる町には中央図書館と分館が3つあります。
いつもは歩いて7~8分の近い分館に行くのですがが、先週、ランニング練習の折り返しのところにある分館に寄ってみました。なぜかというと、その分館にはDVD、ビデオなどがそろっていると聞いたからです。

確かに私のよく行く分館にはほとんどないですがそこはけっこう揃っていました。

「1人1点1週間」というので、NHKスペシャルアジアの古都物語第1集北京を借りてきました。

みていて懐かしいのはフートンと四合院です。
北京には2002年に北京国際マラソンを走りに行ってからマル4年行っていません。
いまはオリンピックのせいでかなり取り壊されているでしょう。

フートンには3~4回きましたが、いま思うとあのころフートンの路地を歩いたり走ったりしてホントーによかったと思います。

フートンが出来て以来の取り壊しが行われたと聞いています。
保存地区もあるそうですが、オリンピックという「たった1回の北京でのイベント」のために何百年も続いた街(いや何千年かもしれません)が取り壊されるのはとても寂しいことです。
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by xiyuannei | 2006-10-22 20:24 | 日中の雑感あれこれ

長征

CCTVの1チャンネルではこのところ「長征70周年」の記念行事が放映されています。「長征って何だろう・・・」、字はみたことがありますが内容はほとんど知りません。

今日の午前、図書館で野町和嘉著『長征夢現実―リアリズムの大地・中国』(情報センター出版局、1989年)があったので、それを借りて読んでみました。そうしたら毛沢東などが率いる「紅軍」が江西省の南東にある瑞金から廷安に革命本拠地を移すその行軍のことでした。1934年から1936年のことです。地図をみるといわゆる西部の山岳地帯を歩いたようです。1年間で1万2500キロ行軍したといいますからすごい距離です。

単純計算で一日30数キロです。私は平地で走っているだけですが、想像もできないほど大変な行軍だったでしょう。目的地に着いたときは8万5千人が7000人になっていたというほど犠牲者をだした行軍のようでした。何故その時廷安だったのかはわかりません。

しかし、歴史の事実は毛沢東など率いる革命軍が1949年に新中国をつくり、2006年の今中国は57年間の歴史のなかで大国として発展してきていることです。中国政府が国をあげてその行事を行うのもうなずけます。

私は中国語の勉強を開始するまでまったくと言っていいほど中国に関心がなく歴史も文化も社会もほとんど知りません。今でも知識はないですが、こうしてテレビなどの情報をきっかけに少しずつわかってくることが多く、いっそう、現代中国へ関心が増してきます。
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by xiyuannei | 2006-10-22 13:26 | 日中の雑感あれこれ

中国琵琶

10月5日  木曜日
雲り 雨
本日距離: 3km
今月累計: 23km
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昨夜は初めて中国琵琶の演奏を聴きました。
奏者は孟仲芳さんという女性で孟子の第71代目の子孫ということでした。15年前に日本に雅楽の勉強のために来て、いまはある大学で法律の勉強もしている方です。8歳の時から琵琶をはじめ中国音楽協会会員で中国国家文化省演奏優秀賞など数多くの賞を受賞と紹介されています。

演奏曲目は6つ。
1.荒城の月(孟仲芳編曲)
2.賞花会(現代楽曲)
3.春江花月夜(古典)
4.イ族舞曲(近代楽曲)
5.五木の子守唄(孟仲芳編曲)
6.十面埋伏(古典)

楽器の説明もあり聴くだけではなく勉強にもなったコンサートでした。

・日本では筑前琵琶、薩摩琵琶などがあるが、中国琵琶とは違う。中国琵琶は西洋ではギター系。
・中国琵琶の伝統曲はおおむね文曲と武曲に大別でき、文曲は叙情的な風景を静かに表現し、左手の演奏技法を主に余韻を強調、武曲は激しい戦いなどの情景を琵琶特有の多彩な技法を用い、リアルな音で表現する。
・中国琵琶のフレット数はネック部分と胴部分をあわせて30~32個あり、4弦が張られている。演奏者は楽器をほぼ垂直に構え右手の5指全部を使って演奏する。
・中国琵琶はピーパと中国語で言うが、ピーは指を内から外へはじくことを言い、パは親指を外から内にはじくことを言う(実際、近くで見ましたが、撥(ばち)は用いず指を使って音を出します)
・中国琵琶にはギターのような穴がない。表は桐、裏は紅で作っており、いい音の出る琵琶はなかなか製作できない。

2千人くらい入るホールでも音響を使わないで演奏するらしいですが、最後に演奏した「十面埋伏」は起源前202年の漢の劉邦と楚の項羽との最後の決戦「がいかの戦い」を表現した武曲の代表作。とても迫力がありました。
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by xiyuannei | 2006-10-05 05:18 | 日中の雑感あれこれ

等身大&意外性

最後の話は涙でした。

「等身大で相手をみつめよう」毛丹青(ビデオです)
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by xiyuannei | 2006-09-16 13:35 | 日中の雑感あれこれ