人気ブログランキング | 話題のタグを見る

はじめての中国~シンセン

はじめて中国大陸に足を踏み入れたのは1991年でした。しかもそれは偶然のことでした。

そのころの日本はバブル経済がまだ残っており、会社の慰安旅行も海外旅行でした。今はなくなった制度ですが、福利厚生とリフレッシュをかねて、年1回1~2泊の慰安旅行をしてい時期でした。

その慰安旅行先に香港コースが新設されたのでそれに参加したんです。まる一日自由行動の日がありほとんどの人は香港の市内観光でした。私は「シンセンに行ってみないか」と同僚に話したのですが、「ビザを取れない可能性が強いので行かない」という旅行通の友人の一言で誰も行かない。しょうがないんでちょっと不安はあったんですが一人ででも行くことにしました。九龍駅から電車に乗ること約1時間、そこは香港とシンセンの「国境」でした。

私がこの香港旅行でぜひシンセンに行ってみたいと思ったのは、数か月前に創文社のPR誌「創文」で木村尚三郎が「シンセンが経済特別区になり、町が農村地帯から大都市に様変わりしている、その変化の真っ最中だ」というのを読んだからでした。その文章を読んだ時シンセンにすごく興味をもち「これはぜひ行ってこの目でその実際を見てみたい」と思い、香港行きが決まってからはその思いは激しくなったものです。

そのシンセンがもう目の前にあったのでした。

「国境」は青函連絡線の切符売り場のように簡素なものでした。改札では香港でたくさんの買い物をした人たちが大きな荷物を担いで並んでいます。その人たちに混じって胸をわくわくさせながら並びました。その後、小部屋に入りビザの申請すると、20分ほどでパスポートにビザのハンコが押されて戻される簡単な手続きでした。あとは人の後について粛々と歩いて改札を通るとそこは中国大陸でした。

シンセンに入った感動は今も忘れることができない。

シンセンに入るとカーキ色の制服を着た若い警官が整列して警備しています。はじめてみる中国の警官でした。街は人がたくさんいてすごくにぎやか。15分くらい歩いていくと真っ青な空から灼熱の太陽が照らす、暑い暑いシンセンがあります。歩道橋から町を眺めると太い道路と林立したビルが一面にある人工巨大都市。「これがシンセンか。これ中国か」、始めての中国に感動したことを覚えています。

確か午前10時頃から4時頃までシンセン市内にいたと思います。とにかく歩きました。市の博物館、百貨店、ちょっと外れた街など暑い中をひたすら歩く。真新しいビル群もちょっと通りを離れると掘っ立て小屋の長屋があり、古さと新しさの混在した街を膚で感じました。

街角にはト小平が何かを話しかけている大きな看板があちこちにあるんですね。

その時はその人が「中国の最高指導者」で「南方講和」で回ってきて「経済特区」の推進者なる人物であることを知らなかった。だから「誰だろう、このおじいさんは」と思ったのですが、いかにも中国的な色使いと絵の構図に違和感なく中国を感じたような気がします。あとで中国を知るにつれ、まさに91年はト小平の「開放改革」の経済政策が始まったばかりで、シンセンはそのモデルとして大きな様変わりをしている最中であったことを知ったんですが。

それと街を歩いているとマクドナルドがあったんですね。

けっこう広いお店でした。2階に行きコーヒーを注文してゆっくり飲んでいると女子高生が5人くらいで隣の席に来ました。その内の一人に話しかけてみると「自分の親は海南島出身であること、いま学校では英語を勉強しており私も英語を使えるようになり外資系会社で仕事をしたい」と話します。希望に燃えた目で、ハキハキ話す学生でした。あの女子高生もすでに30歳くらいになっています。きっと頑張ってシンセンあたりでOLをしているのかも知れません。

これが最初の中国大陸でした。この頃はまだ中国にさほど関心はなくて本格的に中国に関心を持つようになったのはその5年後でした。
by xiyuannei | 2004-07-08 06:44 | 旅・留学の雑感あれこれ
<< New York 日帰りの広州 >>