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祭りが終わると一気に秋

月末のの2日間は住んでいる地域の夏祭りでした。台風にあたってしまい2日間とも雨でしたが無事終了。しかし、雨対策のために例年より大変な思いでした。

28日は野外舞台で、踊り、太鼓、コンサートを行う予定でしたが、急遽、室内ホールを借りて、日本伝統芸能舞踊、日本舞踊、ラテンコンサートは室内、太鼓とハワイアンダンスは野外舞台で実施。会場が2箇所になったので運営に一苦労。

ラテンコンサートを室内にしたのは、音響設備に雨があたると機材の電気系統がショートして破損する可能性があるからです。また、観客も傘をさしながら見なくてはいけない。即興の判断でした。

29日の阿波踊り、これは17時から20時まで11連の阿波踊り団体が5箇所の会場で踊る企画ですが、これも雨のために実施するか否かを心配、午後3時に判断することにしましたが、「決行」を決定。踊っている間、おおむね雨は上がりましたが、2回ほど小雨にあい、踊り子・お囃子たちが雨に濡れてしまうかわいそうな場面もありました。しかし、元気のよい阿波踊りを全員が踊りきり、無事終了しました。

夏祭りが終わると、季節は一気に秋になります。
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by xiyuannei | 2004-08-30 06:11 | 日常生活は発見がいっぱい

别了,温哥华

「别了,温哥华」 (22集 99元 DVD 3碟装)22集を見終わりました。

長かったぁ。大阪出張の新幹線の中でみたり、ホテルでみたり、この数日かなり集中的にみて、ついに最後の22集が終わった、という感じ。この作品、一言で言うとドメスチックバイオレンスを扱ったドラマなんでしょうか。

中国の人はこのドラマをどんな風にとらえているんでしょうね。

故事梗概:

神秘而美丽的任晓雪(赵琳饰)随考察团从北京到加拿大。在游玩期间意外失踪。负责接团的导游陆大洪(姜武饰)在心绪烦乱中开车撞伤了温哥华大学的中国留学生杨夕(李小冉饰),陆大洪面对公司责令找回任晓雪他一筹莫展,在照顾杨夕的同时结识了她的校友一高干革命子弟罗毅(陈坤饰),并帮助罗毅在温哥华安顿下来,一次的联欢会上他们意外发现了任晓雪的踪迹,面对楚楚可怜的柔弱故娘,他们最终放弃了对任晓雪在移民局举报。

在罗毅眼中,与任晓雪相识,到相互接受犹如迷团一般,但又无法挡对她的爱意,疑惑,恼恨,同情随之而来; 而杨夕随着陆大洪的未婚妻到来,原本相互关心,爱慕的情感出现了危机,罗毅在任晓雪谜一般的身世,父亲因贫污受贿被捕而有可能面对死刑的打击下了陷入了极度的困惑与痛苦之中。。。。。。



导演 汪俊
执行导演 刘心刚
主演 赵琳,陈坤,李小冉,姜武
联合主演 汪俊,姜易宏,廖凡,马睿,陈大明
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by xiyuannei | 2004-08-27 07:02 | 映画・ドラマは文化の凝縮

上海から広東省へ2

8月12日(木)
今日は4時半に目を覚ます。東京でも毎朝4時半起床なので、時差が1時間あるとはゆえ、時間になると身体が反応している。午前中に広州から松崗に移動しなければならない。7時前には藍&海で朝食を済ませ、荷物を片付け、BlogBusに日記をアップして9時頃にチェックアウトする。2泊で498元は予定通りだ。

華橋酒店から広州駅まで歩く。歩道を歩いている途中、僕のリュックサックがちょっと人に触れた。急に僕の進行方向に身体を寄せてきたからだ。「すみません」と日本語で誤ったが、その上着を着ている若い男は何か文句を言っている。無視して歩いていった。その30秒後くらいにちょっと背の高い別の男が後を追いかけてきて何やら言っている。ここでかかわっては金を取られるかもしれないと思い、その男も無視して歩き続けた。少し着いてきたようだ。しかし朝だし人も多かったので途中であきらめたのだろう。駅についたときにはほっとした。これは気をつけなければならない。

5年ほどまで、大阪・南方の歩道で、向かって歩いてくる男が僕にぶつかって手に持っていたサングラスを落として壊れた。開口一番「弁償せよ」という。ちょっとこわそうな男性だったので謝った上で1万円払い、早々にその場所を引き上げた。あれもその後考えたときにサングラスを落として金をゆする手口だったのかもしれない。大阪に赴任したばかりの時だったので、現地のリズムに慣れていなかった。東京に30年以上住んでいてそういう類の経験はない。そして今度は広州という初めての地での経験だ。やはり、新しい土地に行ったときには、特に人との接触には気をつけなければならない。いい教訓だった。

広州から松崗まで、9時半発のバス切符を買う。45元だ。11時には松崗に着いた。松崗駅に近づくと宝利来グループが建設しているマンションがみえた。宝利来大酒店をみると、もう地元という感じだ。2回目だけれど知っていることの安心感がある。Mさんとは12時半ころに宝利来大酒店のレストランで待ち合わせなので、まだ1時間ちょっとある。それで前回入った喫茶店、緑色田園で時間をつぶすことにした。この喫茶店は軽音楽を流し、コーヒーも品数が多い。ブルーマウンテンが20元なのでそれを注文した。香りもしてなかなかおいしい。「経典音楽、極品珈琲、新朋好友、浪漫時刻、尽在緑色田園!」という宣伝文句が嬉しい。

Mさんが遅れて1時頃に着いた。チェックインのあとホテルのレストランで食事。その後、サウナ、また食事とゆっくりした時間だった。食事はMさんが払ってくれるので金のない僕には助かる。

8月13日(金)
今日のスケジュールは割合ゆっくりだ。午前中はシンセン空港に行って、14日(土)の上海行きの航空券を買うこと、午後1時半に張さんの工場に行って10月発売の新製品ヘッドフォンの最終打ち合わせをすること、3時半くらいからMさんが購入するマンションを見に行くという予定だ。僕は、Mさんが友人なので彼の仕事のヘルパーのようなスタンスでボランティアしている。

シンセン空港にはMさんがよく利用する車でいった。運転手が気が利いていて電話をするとすぐ飛んできてくれる。工場に行くときの場所を知っているので便利だ。いわば、Mさんお抱えの車のようなものだ。今回もシンセン空港に行くのに往復100元で行ってくれる。シンセン空港ではわれわれが切符を購入するのを待ってくれた。

シンセン空港はかなり大きな国内線の空港だ。中に入ると旅行業者がたくさんあり、それぞれ切符を売っている。4社ほど上海までの切符の値段を聞いてみたがそんなに変わらない。変わるのは業者によってではなく、出発便によって違うことだ。基本料金は片道1400元、それが出発時間によって値段が違う。その違いの大きな時間帯は7時台と午後8時台は750~800元だが、日中は1100元、1000元、980元、950元など約1000元前後に集中している。往復だとトータルでは安いようだが今回は片道しか用事がないので片道料金を聞いた。結局、四川旅行社から、中国南方航空、20時45分発、上海着22時25分の飛行機にした。770元だが、クレジットで購入したため800元だった。まあ、まずは上海に行く切符を変えたのでホットする。広州で、広州発の飛行機料金を聞いても850~900元だったし、広州駅で列車の切符を買おうと思って切符売り場に行ったがズラーと並んでいて、とても並ぶ気がしなくなるようなすごさだった。それにきっと軟座しかなければ600元近くかかるわけで、帰りはなるべく飛行機を利用してみたい気があった。そんなわけで14日の飛行機にした。

午前中は空港から戻ったあと、はじめて床屋に入った。中国には床屋がたくさんある。今まで10回以上来ていて一回も入ったことがなかった。頭を洗い、マッサージをして約80分、それで20元だという。それは安い。実際、25分かけて洗髪と耳掃除、そのあとじっきり肩・足などをマッサージしてくれる。「シューフ」がぴったりの床屋だった。しかし精算すると一人50元。どうも「泰式マッサージ」という別料金がかかっていたらしい。時間がないでのマッサージは途中で切り上げたがもったいなかった床屋だった。

その後、ホテルをチェックアウトして中閣城大酒店に移動した。この4つ星の中閣城大酒店は、宝利来の系列で8月1日から開店したというので見にきて、松崗の2日目はこちらに泊まることにした。1か月はキャンペーン期間で料金半額。デラックスルームは660元だが半額なのでそこを予約した。それで今日の午前、中閣城に移ったわけだ。

午後は、松崗から15分くらい長安の方向にあるCさんの工場に行く。すでに完成品を20個ほど製造して待っていてくれた。その製品をさらに点検して2つの改善をしてもらう。ひとつは音域を変化させるチューナーの回り方をスムーズにさせること、赤のヘッドフォンの枠を黒ではなくシルバーにすることだ。2つともOK。これで製品は完成。日本から持ってきたバーコードと5種類の色の商品を対応させて印刷の際に入れこむように情報を渡す。若い順番に黒、シルバー、青、赤、パールホワイトにした。

完成品20個を日本に持ってかえり、これからチラシなどの作成に入る。9月半ばに3日間、ビッグサイトでイベントがあるのでそこがお披露目。そして10月から販売という段取りだ。今年の年末商戦はこのヘッドフォンが勝負のしどころになるだろう。僕は黒のヘッドフォンをもらい、日本に帰る途中、使うことにした。これは実際の使用検定に関係することでもある。5月のモックアップ製品以来かなり改良を重ねてきたが、製造原価は基本的にそのままにしてくれたこと、売価はちょっと高めの2980円にしたことで1個あたりの利幅は増えた。これが爆発的に売れればかなりいい商売になる。また、音域を変化させるパテントも申請中であり、これがアジアのマーケットのみならず場合によっては欧米のマーケットにまで販路が広がる可能性がある。ヘッドフォンはMD,CD,DVD,パソコンなどの音を外部出力する上で必要な道具だ。だからたかがヘッドフォンでもかなり需要の可能性がある。それは音質がよく、ファッション性があり、価格が安ければかなり売れる可能性につながる。実は、今回のブランニュー製品はそういう商品なのだ。

マンションはCさんが「1~2年たってから買ったほうがいい、いまの状態で購入するとリスクが大きすぎる」というアドバイスをくれたので、あっさりそれに従うことにした。Cさんは香港に住んでいるが、この松崗にもマンションをもっており、こちらに来たときには泊まっているようだ。だからその辺の情報はわれわれよりリアルだ。

夜は久しぶりにカラオケに行く。中国語の歌える歌は決まっていて、いつも同じ歌だが、声を出して歌うのは楽しい。今回は3人で3時間半くらい歌った。

8月14日(土)
今日は、Mさんが東京に戻る日なので、永福馬頭まで送りに行く。ここは松崗から車で40分くらいであり、香港への船着場だ。ここで、船にのり直接香港空港に行く。そして出国の手続きはすごく簡単に済むので便利なコースとのことだ。

見送ったあと、その車でシンセンに行く。シンセンは実は1992年に香港旅行の時に香港側から一日行ったことがある。何も知らない驚きと感激の一日だった。今回は前回ほどの感激はないが、高度に都市化したシンセンをみることができた。車がシンセン駅につくとそこはほぼ街の真ん中。その駅ビルの店を見学する。 帰り、松崗に戻る途中、紗丼に寄り、運転手ともども食事をした。松崗は鎮だが、この紗丼も鎮。聞けばシンセン市宝安区には鎮がこのほかに公明、西郷、福永などもありずいぶん大きい区だ。そしてそれらを包括するシンセンはもっと大きい。

20時過ぎの飛行機に乗るので、食事をしたあと空港まで行ってもらう。まだ16時半過ぎなので時間はたっぷりある。こういう時間がワープロを打つのに大切だ。

「思えば遠くに来たもんだ」という言葉があるが、ホント、上海から広州経由でシンセンまで遠くにきた。経済開発の場所が集まったのはやはり広東省というのは面白い。

8月15日(日)
昨日はまいった。シンセンから上海に行く飛行機が遅れて浦東空港に着く。浦東から静安寺に行く11:03分のバスが出た直後に、バス乗り場に着く。タクシーだと150元するので市内行きのバスを探したところ南京西路行きのバスがあったのでそれに乗る。浦東空港を出発したのが11:25分だった。終点に着いたのが12:30ころ。あたりは暗く土地感もないので早々に野宿に決めて場所を探す。高速道路の下に草むらに囲まれた畳一畳ほどの空間があったのでそこに落ち着く。蚊がいるので雨用の上着を着て寝転がる。青空を見ながらの一夜だが割合早く朝が来た。5時半になったので、道路にでてバス停を探す。この辺の場所は虹橋だった。日曜日なので人もバス便も少ない。6:12発の始発で人民広場に行き、そこから天津路を歩いて招待所に行く。受付の若い男性は僕の顔を覚えていてすぐチェックインの受付をしてくれた。
昼頃まで一寝入りしたあと南京路に行く。ここは観光客が多い。上海書城南京店があったのでVCDを買う。その後、付近をぶらぶらしてホテルにもどりVCDを聴く。今日はのんびりの日だ。20時頃夕食をしに外に出る。店を探しているところ「自分で串焼きを焼いて食べる店」があり、現地の子供がおいしそうに食べているので入った。メニューはいろいろで1本2元、3元が多く、6元のも少しある。サントリービールは3.5元。かなり食べた。串の本数は20本くらいあろうか。締めてみると35元だった。となりで4人組が食べている。一人は外国人だ。目を合わしたので互いにグラスを上げて乾杯する。すると外人の横に座っていた中国女性が英語で話しかけてきた。旦那がドイツ人で奥さんが中国人、あとの二人は姪とそのボーイフレンドだという。上海にいると外国人と出会う機会も多いのだろう、だからこういうカップルができるのかもしれない。「ハードロックカフェーをしらないか」と聞かれたので、「端金賓館のそばにある」と教えてあげた。

8月16日(月)
今日はゆっくり起きた。8時だった。町はもう出勤なので平日の顔になっている。何もない日だからのんびりした。12時に友人と花園飯店で待ち合わせたので10時頃、宿舎をでて地下鉄で石門一路まで行く、そこからのんびりと歩いた。途中、銀行で両替をして、伊勢丹デパートをゆっくり見た。月曜日のせいか客はいない。花園飯店の近くも散歩する。わかったことは、あの百盛デパートと花園飯店は同じブロックだということだ。一ブロックの距離が長いからいろいろな建物があり、また方向を間違えるとまったく違う方面にいってしまう。従ってどちらの方面に歩いているのかを確認しながら進むことが重要だ。その点では道路標識に書いているNSの方角表示は嬉しい。バス停にある標識も方角が書いてあり、上海は痒いところに手が届くようなアナウンスがされていることを感じる。

今回はまだ行っていない新天地に行く。これも割合わかりくいところだ。新天地のスタバでコーヒーを飲んだ後、カラオケ必愛歌で行く。これは日本のビッグエコーの上海支店のようだ。2時間ほど歌った。ビールとお茶、野菜スティックを注文して総額で130元だった。昼間なので安い。その後、辛いものを食べたいので湖南料理の店に行く。茂山南路にある。1時間半ほどいただろうか。17時頃入ったころは1人しか客はいなかったが、出る頃には15組くらいになっていた。こういう店を好む中国人がいるのだな、と思う。

一回部屋に戻ってから、昨日行った上海書城南京店に行く。またVCDを買う。それと380元もする中国語教材とKさんにゴルフのVCDだ。中国語教材は最初買う気はなかった。しかし。国家漢弁編集の教材なので気になる教材であった。これをしっかりやって中国語の力を付けることを心に誓う。

8月17日(火)
長かった中国の旅も今日が最終日だ。上海、広州、シンセンというコースは予定通りに実施できた。また、様々な宿泊を経験することもできた。小さな目的だが一応完遂だ。そして、バックパーカーとして一つの荷物だけを持ち、健康管理もできて無事旅を終了することができた。

いくつか学んだ。
・挨拶は大事。ニイハオと声をかけるだけで好感をもたれる。
・相手のことを尊重して話をしよう。そうすれば自分も尊重される。
・出会いは無数にあると思うが、一回一回の出会いを大切にしょう。

今回、とても便利だと思ったのは携帯電話だった。連絡をとりあうのに携帯は欠かせない。それと都市部を回って思うことは内陸からの出稼ぎだ。若年労働力がほとんど内陸から供給されているのではないかと思う。広州からシンセンに行く高速道路わきには東莞がありそこは有数の工場地帯だ。それらの工場は必ず寮を持っている。その寮の窓には多数の洗濯物が干してある。最初、「ひとつのベランダになぜあんなにたくさんの選択物が干してあるのだろう。しかも同じような色で・・・」。わかったことは一部屋に8人くらいが同居しており彼らの洗濯物なのだ。工場は8時頃から18時頃まで稼動しておりその間は仕事、それ以降は寮で生活。たぶん、食堂で夕食をして、洗濯して、テレビをみて、同僚と話をしてそして就寝するという毎日を送っているのではないだろうか。例えば手取り500元もらえば、300元くらい故郷に送金し、年1回故郷に帰る。だから工場生活は毎月150~200元で生活するからほとんど何も買えない。土日は休日だ、この日は工場の周りを散策し、近くの街に行ってぶらぶらする。若者だ、あれも欲しい、これも欲しいという気持ちはあって当然だ。しかし買える金はない。これが出稼ぎ若者の現実ではないだろうか。不満はあるだろう。何せ情報が電話、インターネット、テレビなどでどんどん入ってくるのだから。

僕は自由時間のかなりの大部分を中国語、中国関係に使っている。今後、どこまで中国とのかかわりを中身のある充実したものにできるだろう。今、ボランティアで関係している3つの分野、雑誌への原稿執筆とそのイベント協力、ある製品のプロモーションヘルプ、文化交流などの模索が今後どのくらい自分の進む道に影響を与えていくのだろうか。今はまったく未知数だ。模索の数年になりそうだ。

10時頃チェックアウトする。嬉しいことにフロントにいたのはcheck inする時にいた、若い男性だ。彼の笑顔はいい。やせた身体、やせた頬、でもそこに彼なりの魅力ある笑顔がある。気持ちで日本のお茶をあげてきた。地下鉄で静安寺まで行き、喫茶店でお茶を飲みゆっくりしてからバスで空港へ向かう。コーヒーは前回香港コーヒーにしたので今回はイタリアンコーヒーにした。すごい苦さだ。これがイタリアンか。隣の席では30代後半の若奥さん二人が遅い?朝食をとっている。いいところの奥さんだろう。上海語なのでまったくわからない。

隣がVCDの店であることはこの前、トンカツを食べに来たときにわかっていた。11時半ころVCD店に入る。ここはすごくドラマのVCDが揃っている。Kさんが推薦してくれたドラマを探す。三つともあった。みなDVD版だ。このDVD版はすごい。何せ、テレビで27回にわたって放映したドラマが3枚のDVDで収まっている。1枚のDVDに400分収録されている。半端じゃない圧縮技術のすごさを感じる。以前ならVCD27枚になる。しかし今は3枚で済む。このデータの圧縮技術が彼らの商売を繁栄させている。全世界の中華系人口が22%という現実はわれわれの想像を超えたマーケットを作っているに違いない。「玉観音」「別了、温[可可]華」「冬のソナタ」の種類買う。これで333元だったが300元にまけてもらいラッキーだった。すごく安く価値ある買い物だった。Kさんからもう一つドラマの推薦を受けたがそのDVDは試しに立ち上げてみたが、傷があるということで立ち上がらなかった。次回、それは買おう。今回はすごく音像製品を買った。これらの総稼働時間はおそらく80時間くらいになろう。これを見たり聞いたりして終わるころには、今よりもっと中国語水準が上がっているだろう。自分の将来が楽しみだ。

日本行きのJALで予約していたのは15:55だった。しかし13:15ころ空港に着き、14:10分の便に空きがないかを聞くと「ある」という。これはすごいラッキーだ。約2時間くらい得する。乗っている時間は2時間10分、+時差1時間。5時には成田に着いた。しかも、飛行機の中では観たいと思っていた映画「The Day after Tomorrow」があった。地球環境問題を鋭く提起している映画だ。2時間の映画はあっという間に終わった。そしてあと45分で成田に着くというアナウンス。これも僕にとってはありがたい時間の過ごし方だ。

成田に着き、家に電話をした。「ずいぶんゆっくりだったこと」という妻の言葉で今回の中国の旅は終わった。
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by xiyuannei | 2004-08-23 09:18 | 旅・留学の雑感あれこれ

上海から広東省へ1

8月の中国旅程

06日(金)JAL791成田10:00→上海(浦東)12:00  
07日(土)上海        
08日(日)上海        
09日(月)上海→広州 (車中泊)  
10日(火)広州        
11日(水)広州→シンセン        
12日(木)広州   
13日(金)シンセン
14日(土)黄田空港→上海空港(浦東)
15日(日)上海        
16日(月)上海
17日(火)JAL610上海(浦東)15:55→成田19:45

8月6日(金)
今日は上海に行く日だ。12時発かと思ったら10時発。すごい勘違いだ。7時に出るつもりでほぼ出発準備が終わっていたので、急いで6時に自宅を出てタクシーで駅までいく。日暮里でスカイライナー7時9分にのり8時頃に成田についた。最近の成田は近く感じる。

JALのエグゼクティブのところでチェックインしたのでスムーズ。現地時間12時45分ころには上海の浦東空港につく。いつもように市内に行くにバス・2線で静安寺まで。そこからまたバスにのり、いま、上海体育館近くの永和大王で麺をたべる。店の子に現在地を聞くと3人も4人も寄ってきて「ここ」と教えてくれる。また、隣で携帯メールをチェックしていた若い女性は、親切心で、帰り際に英語で場所などを教えてくれる。マンションオーナーのSさんにも今携帯で電話して3時半ころマンションに伺うことを告げる。まあまあの滑り出しか。

タクシー運転手に打浦路のメモを見せる。14元で現地に到着。赤い建物の28階に行くと、部屋でSさんが待ってくれた。部屋は100平方メートルの東南向きの部屋。7年前に購入し、将来はここに住むという。聞くと、東京に住んでいて今、子供が夏休みなので1か月ほど里帰りしている。実家はここから歩いて10分ほどとのことで、近いところに物件を購入。ここは川向こうが万博予定地なのでどんどん物件が値上がりしているとのこと。このマンションの近くの不動産屋の広告をみていたら100平方メートルで130万元前後だ。Sさんは1平方メートル1万元ほどといっていたが実勢価格は3割高い。

このマンションの内装は白を基調にシンプルにつくってある。1平方メートル2000元くらいとのこと。中国は物件と内装は別なので金がかかる。しかし「自由に内装設計できていいい」という声もある。

夕方、Kさんに電話をしたところ、週末はちょうどあいているとのことで、さっそく金曜日の夜だが食事にさそった。例の蘭心餐庁(進賢路130号)に行く。テーブルが4つしかないので2組待たされた。2階もあるらしいがそこにはまだKさんも入っていない。しこたま食べて飲んで120元なのでやすい。その後、そこからこの打浦路まで歩いたが途中、瑞金賓館のところにある北京の三里屯のような場所に行く。フランス系のカフェバーにはいりシーバスを飲んだがほんの少ししか入っていなくて45元。地元でも金のある若者が行くような場所だ。

8月7日(金)
広いベッドでゆったり寝た。昨日は12時ころの就寝なので8時間くらい寝ただろうか。今日は昨日教えてもらった場所に列車を買いに行く。魯班路193にあるその切符売り場は見過ごすような場所にあった。その付近で聞いてたどり着いた。しかし、16日まで分迄切符を売っていないという。広州行きもシンセン行きもなかった。理由はわからない。

午後、上海駅に切符を買いに行く。Kさんに電話すると上海駅の南側の切符売り場で買えるという。現地に行くと広すぎてわかりにくい。軟座関係者の改札入り口のドアガールが教えてくれる。軟座関係の専用切符売り場で広州行きを予約したところ、軟座寝台の上段しかなかった。ホントにないのかを問うとパソコン画面をみせる。若干迷ったが行かなくてならないので購入。592元だった。

人口が移動する時期ではないとのことだが学生の帰省の時期だ。それなら安い順になくなるだろう。人民公園に戻り、その近くにある本屋で岩波書店の日中辞典を買う。東京の中国系書店でも売っているがやはりこちらのほうが安い。荷物になるがこちらにいる間も使おうと思い買ってしまう。

5時頃部屋に戻るとちょうどKさんから電話がきた。「これから友達とトンカツを食べに行くけれど一緒にどうですか」ということだ。バスで静安寺まで行く。そこにはそごうが未完成だがオープンしていた。ブランド物をズラーと並べ、誰のためにデパートかと一瞬考えてしまう。こういう需要があるのが今の上海かもしれない。「浜ちゃん」というそのトンカツ屋はお客の全員が日本人だった。その後喫茶店にはいりコーヒーを飲みながら日本対中国のサッカーをみる。3対1で日本が難なく勝ち、中国のテレビでは盛り上がりにかける内容だった。いつ、点がはいったのかわからない。しかし、中国が1点とった時だけはお客さんが立ち上がって喜んだのでわかった。

帰りにKさんがマンションに寄って室内を見学。「これはお借り得」という彼の評価だった。

8月8日(土)
12時頃寝たが眠れなくて3時頃からごそごそする。5時半はもう明るいのでジョッギングに出かけた。80分ほどあちこちとデジカメをもって走る。かなり撮った。部屋に戻りシャワーを浴びた後部屋の掃除をする。そして10時に来る予定のSさんを待つ。ゆっくりできた2日間だった。大きい部屋にベッドが3つあってもひとつしか使わない。鍵を渡して部屋を出たあと、バスで静安寺に向かう。その付近でバスに乗り換えて一路、外灘方面へ。

12時ころ船長青年酒店にチェックインする。部屋は改装したてらしく新しい。2段ベッドが5つあり10人部屋だ。しかし一泊60元という安さだからこれもよしか。欧米人ばかりでアジア人は僕一人だ。15日、16日も予約しようとフロントで言ってみたがすでに満員。しかたなく南京路に行ったときにどこか安い部屋を探そうと物色していたら、「招待所」の看板が見えたのでそこの部屋見学にいく。ラッキーなことにツインの部屋のシングルユースで1泊100元という安さ。即、15日と16日を予約した。これで今回の旅行は、マンション、ユースホステル、4つ星ホテル、招待所の4種類の宿泊所に泊まることになった。なかなかできない経験だ。

午後は、人民広場、ファーファイルーを散策。最近できたソニープラザを見なくてはと思い若者に混じって館内見学。そこにいる時に東京にいるMさんから電話がある。5月に上海で中国の携帯電話を買ったので今使っているがやはりすごく便利だ。声もはっきり聞こえ東京と上海ではないような気がした。スタバでコーヒーを飲み、上海書城で1時間半ほどゆっくり本を見てホテルに戻る。途中6ドルの麺とビールを飲んで。

ユースホステルの部屋に戻るとフランス人がいた。お互いに挨拶をする。フランスで山の案内の仕事をしているという彼は東南アジアをずいぶん回っている。日本は行ったことはないが友達がいるというので場所を聞いたら生駒だった。ほどなくマークという若者が帰ってくる。彼は中国製造のブランド品をたくさん買ってきて、みんなに紹介していた。オメガの時計を100個以上、ベルト、ハンドバッグ、スカーフなど彼女と友達へのお土産らしい。どうもオーストラリアの若者らしいがオートバイであちこちと回っているようだ。ユースホステルはこうして皆と話ができるのが楽しい。今日もそれなりに刺激のあった一日だった。

8月9日(月)
昨日は10時に就寝、途中2回くらい起きたがすぐまた眠りに入る。起床は6時半。まだみんな寝ていて、8時頃でも寝ている。バックパーカーは十分睡眠をとるのか。起きて直ぐ外灘に行く。歩いて2分くらいだ。朝飯に牛乳1元と麺に卵をしいてあげた何とかいう食べ物を買う。今朝の朝飯は3元か。外灘のところでは老人が太極拳、ジルバ体操をしていた。ジルバはステップの組み方がはっきりしていなく身体をスムーズに動かすことに力点があるようだ。

外灘でデジカメをとっていると上手な日本語を話しながらで近寄ってきた男性がいた。「日本人ですか、東京ですか、何回ですか、観光ですか」など一通り日本語で話してくる。連れが男女一人ずついる。いずれも中年だ。「上海芸術家協会の所属で日本と交流している」と、龍谷大学と帝京平成大学の教員の名刺を見せてくれる。8時に生徒が集まり写生の指導をするという。いかにも先に現地に3人で来ている様子で僕はすっかり信用してしまった。先方(許さん)が名刺をくれるのでこちらも名刺を渡す。「上海の市長は若い、あなたに似ている。」「東京との友好のために6年間は免税しているのでこちらで企業を起こすと儲かる」などいろいろ情報をくれる。そして友好にということで3人がそれぞれ書いたという絵を3枚ずつくれた。そしてB5判くらいの絵も3枚くれてしかも手提げ袋まで。なんと日中友好を大切にしているのだろう。感謝。最後に巻物を出してこれは中国人なら誰でも知っている絵だとその3メートルくらいの絵巻を紹介する。えー!と思ったのが材料費を欲しいという話だ。どうも100元くらい要求している。ここで僕もことわらざるを得なかった。今までの話はないよ。こいうやり方では友好につながらないし誤解される旨を話す。これは返すといったところ手提げ袋ごと引き取った。慣れている。名刺も相互返却して、これで振り出しに戻った。う~ん、これは新手のやり口か。49歳と言っていたが彼らも生活がかかっているのだろう。経験としては楽しかった20分だった。

9時半ころチェックアウトする。今日は13;29分出発の列車なので、ゆっくり上海駅に向かおうと思い、まずバスで外灘から人民広場までバスで行く、そしていつものラッフルズのスタバでコーヒーを飲む。そういえば「本日のコーヒー」は12元で前より安くなったかなと思う。でも味はちょっと薄い。

上海駅付近で早めの昼飯をとり、列車の中で食べるバナナ、りんご、お菓子など買う。まだ時間が早いが軟座専用の待合室に入るとそこは外のあの暑さ、混雑の世界とは違う別世界があった。こういう格差が近くにあるのが不思議だし、こういう場所があることを知らないで一生過ごす人もいる中国なのかな、なんて思う。割合、若いカップルが多い。意外と若い世代の楽しみはアベック旅行なのかもしれない。

時間が来たので列車に乗り込む。9号車の4番は一番入り口の部屋だ。4人部屋で上段ベッド、なんか下段のほうが楽な感じがあるが、上段のほうが気楽かもしれない。母子がすでに乗っていて、娘は上段。英語で話しかけると少しなら話せるとのこと、聞くと本人は15歳で中学3年生。お母さんは国語の先生で英語はまったく話せない。今日は広州にいる父のところに行くという。24時間顔をあわせるのでお互いの安心感のためにまずコミュニケーションが必要だ。発車間際に男性が僕のベッドの下段に乗ってくる。ちょっと角ばった顔の無口そうな男性だ。彼は同じ下段どうしの国語の先生にも挨拶をしていない模様。長旅をなんと心得ているのか。

車窓からずーと外を眺めていると自分がこの長距離列車に乗っているのが不思議な感じだ。自分はどんどん中国にはまっていく。そして中国という僕が知らない国は発見と好奇心を与えてくれそうだ。

8月10日(火)
今日もいい天気だ。今、この上海を出発した列車はどの辺を走っているのかわからない。しかしあと4時間くらいで広州なのでもうすぐだ。昨晩は10時に就寝、国語の先生だけが本を読んでいた。彼女は本を読むか携帯電話をみるかどちらかだ。子供には「もう読書はやめて寝なさい」と言っていた。夜中2回ほど目を覚ますがそのままうつらうつらとすぐ寝た。全体としては寝たほうか。さて、今日は何があるか?まず広州に行ってすることはホテルへのチェックイン。昨日、上海駅でプロモーションガールに予約代行してもらい、そのホテルから予約確認のメールが携帯に入っている。華橋酒店、駅前路90号、248元、三つ星を2日間予約した。たぶん古いホテルじゃないかと思うがそれがまた楽しみだ。

午前10時半ころ、いきなり広州東駅についた。あまり切符をきちんと見ていなかったので広州駅だと思ったら広州東駅だった。それはタクシーに乗ってから気がついた。駅ですぐタクシーに乗り華橋酒店にむかった。運転手にホテル名と住所を書いたメモを見せると、首を縦に振ったのですぐタクシーに乗る。一個前のタクシー運転手はタバコを吸っていたので次のタクシーにした。このタクシーはずいぶん行く。そのうち、これから広州駅に行くんだと気がつく。タクシーは広州駅を西側から入り南に曲がると、まっすぐ先に華橋酒店の看板が見える。ここだ。それにしても道路をまたいでホテルを建てておりずいぶん横柄なホテルだと第一印象。タクシー代は35元。けっこう遠かった。

ホテルはかなりこぎれいで「これは当たりかな」と思いながらチェックイン。これもスムーズ。部屋に入るとツインベッドの部屋でかなりの広さだ。フロはシャワー式なのを除いて他のホテルと変わらない。冷房ががんがん効いていて部屋の冷房スイッチを消すが全館冷房らしくそれでも寒さはおさまらない。こういうものなのだろうか。外はいやになるほど暑く、電力資源も不足しているというのに・・・。たとえば、部屋の入り口の白いタイルは冷たい。あとでわかったがパソコンも机の上に置いておくと冷たくなっている。資源活用のバランスが悪い。しかし、きっとこのホテルは自家発電があるのかもしれない。5月にシンセンの工場見学をした時、みな自家発電を持っていた。確かに考えたらこの地方の雷と急にくる電力不足は自己防衛的に自家発電が必要だ。工場建設などで考えておかなければならない要件の一つなのだろう。

部屋に入って嬉しかったことはブロードバンドが無料で使えることだ。免費寛帯上網(Free Broadband Internet)とあるではないか。このために、パソコンはもちろんケーブルも持ってきた。壁のジャック口とパソコンをつなぐだけで自動的にインターネットにつながる。さっそく、メールのチェックと返事、日本のニュースなどを見る。それがまず広州にきてやったことだった。

さて、明るいうちに町を見ようとホテルから広州駅に向かって歩く。約1キロくらいだろうか。どうもこのホテルの付近はさびれた街だ。中国の場合、往々にして駅の回りは古く汚く、繁華街は2~3キロ離れたところにあることが多い。この広州もそのようだ。中国西方のターミナルとしての広州は列車、バスの発着が多い。だから荷物をもった人がすごく多い。道端では「ファーピアオ、ファーピアオ」というおばさん、おじさんが多い。これは切符を売るのか、購入代行するのかわからないがこの広州駅付近では成立するビジネスのようだ。12日、シンセン市の松崗にいくので、省線バスの切符売り場の場所を確認する。値段も聞くと45元とのこと。これで安心。後は店を見ながらホテルに戻る。

ホテルの近くに2日間通い続ける食堂を見つける。ここは藍&海というカフェテリア方式の食堂チェーンだ。一皿4元から6元なので安心して選択できる。ビールも純生という銘柄が6元なので入るたびにこれを注文する。

夜、外に出ようかと思ったが、周りを散策したり食事をしたりインターネットをしたりしたら9時頃になったので、止めた。さっき、フロントの女性に北京路と上下九路の場所を地図上で確認したので、明日のジョッギングではそこに行くことを楽しみに今晩は早く寝ることにした。しかし、久しぶりのインターネットにはまり、寝たのは11時半頃になった。

8月11日(水)
5時半に起きたが外はまだ暗い。初めての場所なので明るくなってから走ろうと思い、じっと待つ。6時ちょっと前にはほぼ明るくなったので、ジョッギングスタイルで外に出る。昨日あらかじめイメージしていたコースを走った。ジョッギングは結局6時から8時半まで2時間半も走り続けた。止まったのはデジカメ写真を撮るときと信号待ちの時のみという感じで走った。さすがに最後のほうは胸の動機も高まり「これは脱水症状になるかも知れない」とホテルに戻る。

ジョッギングの目的地は中山記念館、北京路、上下九路においた。ホテルから南下して東に向かい、次にまた南下してその後に西に回りこみ、長い西の道を走り最後は北上してホテルに戻った。(一言で言うと右回りで1周した)

走りながらいろいろな道に出会った。駅前路、東風路、[草冠に力が3個]湾路、中山七路、中山六路、人民中路、中山五路、解放中路、東風中路、越秀中路、文明路、北京路、泰康路、上下九路、宝華路、華貴路、流花路などで、路地的な道もあげればもっとたくさんの道に出会った。道はその地域の生活、特徴を現していて、広州市内といってもホント、地域によって違いがある。走りながらいろいろなことを考えた2時間半であった。最後の方で、広州西駅に気がつき、でんと構えた広州駅、お客を迎える広州東駅、ひっそり荷物の駅なのもしれない広州西駅を感じた。

8時半にホテルに戻り、シャワーを浴びた後、すぐ外にでる。いつもの藍&海で食事をとりそのまま、地下鉄駅をめざして歩いた。越秀公園の地下鉄駅から中山大学に行く地下鉄に乗る予定だ。途中、ちょうど10時頃だったので、広州・中国出口商品交易展覧会で第4回中国(広州)国際信息産業週間中国国際信息産業博覧会の開会式をしていた。立ち寄ってそれを見る。わかりもしない挨拶(中国語のため)にみんなと一緒に拍手をして開会を祝う。(http://www.itweek.net)

そのあと、地下鉄で中山大学へ。運賃は4元だった。中山大学はFさんが留学した大学だったのでどんなところか関心があった。キャンパスはかなり広い。外国語学院は南門から入ってすぐ右のところにあり通学には便利そうだ。逸仙路をズーと歩いた。ほぼキャンパスの真ん中を南北に縦断していると思われるその道は2キロくらいあったのではないだろうか。ゆっくり左右のキャンパスを見ながら歩く。真ん中あたりに孫中山の銅像がある。「それにしてもこの暑さのなかで学問研究はきついな」、なんて考えながら北門まで歩き通す。ちょうど昼過ぎだったので暑さ真っ盛りのときに歩いたわけだ。当然、夏休みなので学生は全然でくわさなかった。

再びバスで市内に戻る。文明路に広東省博物館があったので15元払って建物にはいる。広東省の古代からの歴史、動物、植物などの生態、広東省100年を記念した現代の歴史などいろいろ見ることができ勉強になった。特に二つ感じたのは、この地域は古代からそれなりに歴史のある場所だったこと、広東は200年前、清の時代から外国交流の窓口としての国際都市であり、近代100年は経済・貿易の地域として中国でも独特の海外ハブとして実績を積んできていたことであった。中国経済発展の歴史を語るには広東省を抜きに考えられないのかな、と、ト小平が「南方講和」を行ったバックグラウンドも少しながら実感できた博物館見学だった。

そのあと一路、北京路へ。朝の北京路と昼の北京路はまったくちがっていた。場所のにぎやかさはやはり人間がつくりだすもので、お店の人、北京路にくるお客があってこの北京路もにぎやかさになる。特にこの地域はウインドウショッピングを中心とした若者たちの溜まり場として大切なところ。広州の若者もこういう場所がないと、自己発散に困ってしまうだろう。最近はファッション関係で上下九路がホットスポットになっているらしいが、「衣料品」と書くと古いが「ファッション」がやはり若者を引き付ける。そして、広州市内のいろいろな場所を見ても「若者が集まるこの地域が一番元気いい」そういう実感をもった北京路だった。

さて、もう、午後も後半に来た。ホテルに戻ろうと、またバスで北西方面に行く。ホテルまで歩いて帰れる距離に来たので適当に降りる。ちょうど、広州流花湖公園だったので5元の入場料を払って入る。この公園はかなり大きくて東京武蔵野にある吉祥寺公園の5倍くらいありそうだ。花と木が豊富ですごく楽しめた公園だった。ただ、何とかいう企業が公園内での営業を仕切っているらしく、そこが白いお城のホテルを湖に建設している。これはいかがなものか、と感じながら公園をでる。

公園に入ったのは午後2時頃だろうか。その時から遠くで雷が鳴っていた。雷は雨が降るサインであるが、まだまだこないだろうと、ゆっくり公園を歩く。公園をでて、駅前横路を歩いているとポツポツと雨が降り始める。3時25分ころだ。これは危ない、と思いちょっと走り、いつもの藍&海に入る。何せビールを飲みたい。青物一品とビール一本注文し、店の入り口に向いた一人席に座る。

もう、ホント、びっくり、びっくり。座って2分もしないうちに雨が本降りになり、雷の音が近づいて、北東からの風も吹きだす。そして更にびっくりしたのは3時40分頃には町中が真っ暗になってしまったこと。あの明るい灼熱の太陽が照りつける広州が夜中のように真っ暗になってしまう。車はゆっくり走り、人は誰も歩かない。この落差にはびっくりした。これも4時頃には明るくなり、少しずつ町が動き出す。4時半には小降りになり普通の町の状態になったので、僕も精算して(12元でした)ホテルに戻った。これはいい経験だった。

雷雨と風と暗闇の広州、その時に雨宿りの食堂で昨日今日の広州の印象をメモできた。

これが今日の収穫だった。

・ 人は純朴そうだが、つばをはく女性が多い広州
・ 道を尋ねても「知らない」とそっけない広州
・ どっちの方向に行くのかわからないバス停の路線案内の広州
・ 舗道には盲人用のサインがあるが、建築資材も無造作に置いてある広州
・ かんかん照りに雷といきなりの雨と風の広州
・ たまたま国際情報展示会にでくわした広州
・ 曲がりくねった道が多く、磁石と地図がないと自分の位置を確かめることができない広州
・ 舗道に面して小さな小間のお店が多く、あれで経営できるのかと心配な広州
・ 日本人好みの味を「マイルド」のキーワードでフィットさせる広東小菜
・ 「ある」、と思っていなかった広州の地下鉄
・ 中山大学キャンパスの長い、長い逸仙路
・ 広州東駅、広州駅に比べ目立たなかった広州西駅
・ 町が新しく整理されている江南地域
・ 月、1平方メートル1万元の店の小間
・ 海外との関係性が200年もある広州
・ 経済、貿易でもこの100年の実績がモノをいう広州
・ 雨のなか長靴を履いて出前する食堂の女子従業員
・ 空気がすごく悪く、きっと平均寿命が短い広州
・ ダンボール、ペットボトルなどを拾う人が町の清潔に一役買っている広州
・ ごみ収集の大きいボックスに素手をつっこんで分別している下済みの労働者
・ どんな小さな買い物でもいちいちビニール袋に物を入れるすべてのお店
・ 割合、割り箸が常態化している食堂
・ ネクタイ姿をまったく見かけない広州
・ 雨が小降りになり外が明るくなると、BGMを鳴らして元気になる食堂
・ 痛くなるような太陽の光線と洪水のように降る雨があるから農作の恵みがある広州
・ 意外と海と近く、経済発展のインフラの条件がある広州
・ 「開眼看世界」が自慢の広州そして広東
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by xiyuannei | 2004-08-23 08:57 | 旅・留学の雑感あれこれ

别了,温哥华

いつも中国に行ったときにはDVD,VCDを買ってくるんですが、今回は上海の友人が「これはおもしろかった」と推薦してくれた电视连续戏を買ってきました。 勧めてくれたのは3種類でした。購入するときDVDの動作をチェックしたら、1種類は盤に傷がついていて動かなかったので2種類購入。

「玉观音」      27集 109元 dv d 3碟装

 「别了,温哥华」  22集 99元  dv d 3碟装

それと、昨年日本で流行った「冬のソナタ」の中国語字幕版です。
「蓝色生死恋2」   20集 125元 v cd 20碟装

昨日から「别了,温哥华」を見始めたのですが、なにせ長いので、これは全部見終わるまで大変です。ストーリーの展開は遅いのですが、「次にどうなるのか」が気になって、昨日からだらだら見ています。22集ですから22時間くらいの長さのドラマかなと思います。

「玉观音」「别了,温哥华」は1枚のDVDの収録時間が400分なので1枚で6時間以上収録されています。だから、両方ともDVD3枚で済んでしまうんですね。VCD盤だと例えば「冬のソナタ」はVCD盤しかなかったのですがなんと20枚にもなります。データの圧縮技術はすごい。でも僕の持っているパソコンとDVDドライブで正常に動くかどうか心配だったので、上海の店でそれぞれ1枚ずつ取り出して、動作チェックしてきました。

今見ている「别了,温哥华」は北京から来た人たちがカナダのバンクーバーを舞台にストーリーが展開されています。典型的な北京語です。中国語字幕があるのでなんとなくわかるけど音声だけではまだわかりませんね(悔しい)。

一人の若い女性が観光旅行でバンクーバーに入ったあと失踪して、その後その失踪した女性を中心にストーリーが展開されています。最後、どういう結末になるのかわかりません。22集のうちまだ6集しか見終わっていないので、今日は1日、DVD漬けになりそうです。午後は図書館に借りた本を返しに行き、夕方、涼しくなったら近くにジョッギングにいく、という贅沢な一日です。
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by xiyuannei | 2004-08-22 07:01 | 映画・ドラマは文化の凝縮

「中国語で歌おう!」

先週、中国に行ったときVCDをたくさん買ってきました。

再び、中国の流行歌を覚えるためです。VCDに入っている主な歌手は次の通りで、14枚買ってきました。

孙燕姿,蔡依林,梁咏琪,she ,周迅,青春美少女,丁薇,陈明,杨钰莹,何静,许茹艺、张信哲,王杰,周杰伦,王力宏,陆毅,胡彦斌,熊天平,李泉,瘦澄庆,羽泉,孙楠,齐秦,张镐哲,刘德华

2002年にアルク編集部から原稿を頼まれた。『中国語をモノにするためのカタログ2003年度版』に「中国語学習とカラオケについて書いてくれませんか」と依頼されたのです。その時には13曲くらい歌える歌がありました。今はまだ20曲くらいでしょうか。

この2年、カラオケを覚えるスピードが落ちています。今回はいろいろな歌手のVCDを購入、これを聴いて自分にあった歌を覚えるのです。もうすぐ30曲になるのですが、中国語の方はまだまだなので「50曲歌えるころには喋れるようになるはず」と訂正しなければならないようです。

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「中国語で歌おう!」
 (『中国語をモノにするためのカタログ2003年度版』2002年9月発行)

中国語学習306時間、歌えるポップス13曲、中国渡航6回、『人民中国』購読1年、これが僕の4年間の中国関係史だ。 中国語を開始したのは48歳。その時は英語と中国語は聞き分けても普通語と広東語の区別はつかなかった。全く未知の外国語だった。 学習開始にあたっては「発音良ければ半ばよし」(相原先生)を肝に銘じた。しかし、中国語は見ると意味のイメージが湧くが読めない。参考書、新聞などをみてもすごくつまらない。それで読める単語を早く増やそうと思って始めたのが中国語カラオケだった。カラオケをはじめてからやっと辞書を引くようになった。

「30曲歌えるころには喋れるようになるはず」と目標をもうけて練習をはじめた。国内では中国語ポップスのテープ、中国に行った時にはVCDを買ってきた。100本ほどになった。ひととおり聞いた上で自分にあった歌を見つける。そこで苦労したことはまずメロディに慣れること、なにせなじみのないリズムなのだ。しかし1曲のなかで同じ歌詞を2回繰り返すことを発見し気持ちが楽になった。

次に発表する「舞台」がないといくら練習してもつまらない。それでHPでcn-musicの存在を知りメールを出した。この2年で5回ほどオフ会に参加し、そのたびに3〜4曲歌ってくる。「中カラを楽しむ」という一点で新大久保・目黒のマイク103に集まる仲間との交友はその分だけまた中国にはまっていく。

言葉は聴・読・書・話の4技能が求められるが、カラオケは聴いて、歌詞を読んで、書いて、歌うという総合学習教材だ。表現力もつく。最近はブロードバンドで中国のHPから歌を取り込みMDで聴く。『人民中国』5月号で陳琳が紹介されていた。さっそくHPから『愛就愛了』をダウンロードして聴いている。まったく便利な世の中になったものだ。
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by xiyuannei | 2004-08-22 06:44 | カラオケは自己表現

はじめてのビデオ

中国で撮ってきたビデオ映像をパソコンに取り込んで見ました。うまく成功。嬉しいですね。

これでやっと、いままでの見る側から、つくり発信する側に立つことができます。この前ビデオ編集の本を読んでいたら、「ビデオ編集はカットの作業である」と書いてあり、なるほど、と気が楽になりました。何か特別なことではなく、だらだらと撮ったビデオ映像をシャープにカットする、その作業をする編集視点が必要なのだと思います。

だらだら・・・、も大切らしく、これもその種の本には、「とくかくビデオ撮影はだらだらと写し続けた方が良い」とありました。編集の素材としての映像が必要なわけで、それがないことには作業は始まらないのでその通りかと思います。

本屋でビデオに関する本を探しても、あまりないんですね。

デジカメに関する本は多いのですが。買ってしまったあと使わないもの筆頭にビデオがあるらしいです。ビデオ映像は撮った時間だけ見る時間も必要ですから、けっこう見るという作業はたいへんなのかも知れない。だからビデオテープだけがたまる、ということに陥りがちなのかも知れないです。だから、編集して残さないと結局撮りっぱなしで終わりかねないのでしょう。

幸い僕は、以前に雑誌の編集作業をした経験があり、それが編集作業を億劫にさせない気持ちにさせます。

「時代を編集する。」 この作業を、ビデオを通してちょっとばかりやってみようかと思います。
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by xiyuannei | 2004-08-20 06:13 | 日常生活は発見がいっぱい

動画の時代

中国ではデジカメで400枚ほど写真を撮ってきました。

SONYのCyber・shotUを使っているんですがこれが使いやすいんですね。初期のタイプなので画素数は130くらいですがWebで使うにはこれで十分なんです。小さくて軽い、電池も単4形2本なので、充電式の電池で入れ替えて使っています。

電池といえば、以前使っていたのは使いきりの電池でしたが、いまは全面的に充電式に変更しました。使いきりの電池の処理が大変ですし環境にも負荷がかかるしと思い、全面的に充電式に変更しました。今の機器類はほとんど電気エネルギーで動かすのでエネルギー問題は頭の痛いところです。

ところで、これからは静止画から動画の時代だ、と勝手に思い、7月下旬にCanonのFM M100を購入。Digital Video Cameraの世界にはいりつつあります。それで、中国で撮ってきたビデオをパソコンに取り込んで編集しようと思ったら、ぼくの使っているPanasonic CF-T2にはビデオジャックがないんですね。松下側ではいつも使うものではないということでジャック口をはずしたようです。

それで、ビデオをパソコンに取り込むためにIEEE1394インターフェイスPCカード(5229円)を買ってきました。僕のパソコンではPCカードで動画を取り込むしかないんですね。しかし、比較的に安くPCカードとビデオ編集ソフトのセットを買うことができてよかった。これからは、頻度はデジカメほどではないですがビデオを撮って編集して、ビデオライブラリーを作ろうかと思っています。
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by xiyuannei | 2004-08-19 06:16 | 日常生活は発見がいっぱい

光と影

昨日夜、中国から戻りました。今回は正味10日間という長い旅でした。

上海、広州、シンセンというコースは予定通りに実施できました。また、今回はいろいろな宿泊を経験することも小さな目的でしたが、一応達成できました。そして、バックパーカーとして荷物一個だけを持ち、自分の健康管理もできて無事旅を終了しました。

いくつか学んだことです。

・ 挨拶は大事。ニイハオと声をかけるだけで好感をもたれる。

・ 相手のことを尊重して話をしよう。そうすれば自分も尊重される。

・ 出会いは無数にあると思うが、一回一回の出会いを大切にしょう。

今回、とても便利だと思ったのは携帯電話でした。連絡をとりあうのに携帯は欠かせない。何せ、中国人の3億人がすでに所持して使っている携帯電話です。これを年代別にみると、ある世代は圧倒的な所持率を示すのではないでしょうか。

それと沿岸部を回って思ったことは内陸からの出稼ぎが多いことです。若年労働力がほとんど内陸から供給されているのではないかと思います。広州からシンセンに行く高速道路わきには東莞がありそこは工場地帯で有名です。それらの工場は必ず寮を持っています。その寮の窓には多数の洗濯物が干してある。

最初、「ひとつのベランダになぜあんなにたくさんの選択物が干してあるのだろう。しかも同じような色で・・・」。わかったことは一部屋に8人くらいが同居しており彼らの洗濯物なのです。工場は8時頃から6時頃まで稼動しておりその間は仕事、それ以降は寮で生活。たぶん、寮食堂で夕食をして、洗濯して、テレビをみて、同僚と話をしてそして就寝するという毎日を送っているのでしょう。

そして給料でいえば、手取り500元もらえば、300元くらい故郷に送金し、年1回故郷に帰る。だから工場生活は毎月150~200元で生活するからほとんど何も買えない。土日は工場が休日なのでこの日は工場の周りを散策し、近くの街に行ってぶらぶらする。若者だから、きっと、あれも欲しい、これも欲しいという気持ちはあって当然です。しかし買える金はない。これが出稼ぎ若者の現実ではないでしょうか。

そういう経済発展の光と影を感じた旅行でした。
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by xiyuannei | 2004-08-18 06:18 | 旅・留学の雑感あれこれ

広州の一日

昨日の広州はよく走りよく歩きました。

朝、6時から8時半までジョッギング。止まったのはデジカメ写真を撮るときと信号待ちの時のみという感じで走りました。さすがに最後のほうは胸の動機も高まり「これは脱水症状になるかも知れない」とホテルに向かう始末です。

ジョッギングの目的地は中山記念館、北京路、上下九路におきました。ホテルから南下して東に向かい、次にまた南下してその後に西に回りこみ、長い西方面の道を走り最後は北上してホテルに戻るコースです。

走りながらいろいろな道に出会いました。駅前路、東風路、[草冠に力が3個]湾路、中山七路、中山六路、人民中路、中山五路、解放中路、東風中路、越秀中路、文明路、北京路、泰康路、上九路、下九路、宝華路、華貴路、流花路などで、路地的な道もあげればもっとたくさんの道に出会っています。道はその地域の生活、特徴を現していて、広州市内といってもホント、地域によって違いがあります。中国で面白いのはどこの町でも、解放路とか人民路があることです。やはり、侵略と抑圧から解放されたその喜びが地名にも反映します。これはその事実を後世に残す上でも大切ですね。

8時半にホテルに戻り、シャワーを浴びた後、またすぐ外にでました。いつもの藍&海で食事をとりそのまま、中山大学にいくために越秀公園の地下鉄駅をめざしました。運賃は4元。中山大学はFさんが留学した大学だったのでどんなところか関心がありキャンパスに足を運びました。ほぼキャンパスの真ん中を南北に縦断していると思われる逸仙路は2キロくらいありゆっくり左右のキャンパスを見ながら歩く。真ん中あたりに孫中山の銅像があり記念写真をパチリ。それにしてもこの暑さのなかで学問研究はきついな、なんて考えながら北門まで歩き通しました。

再びバスで市内に戻り、文明路沿いにある広東省博物館にはいりました。広東省の古代からの歴史、動物、植物などの生態、広東省100年を記念した現代の歴史などいろいろ見ることができ勉強になりました。特に二つ感じたのは、この地域は古代からそれなりに歴史のある場所だったこと、広東は200年前、清の時代から外国交流の窓口としての国際都市であり、近代100年は経済・貿易の地域として中国でも独特の海外ハブとして実績を積んできていたことです。

そのあと一路、北京路へ。朝の北京路と昼の北京路はまったくちがっていました。場所のにぎやかさはやはり人間がつくりだすもので、お店の人、北京路にくるお客があってこの北京路もにぎやかさを作り出す。とくに若者が集まるこの地域はウインドウショッピングを中心とした若者たちの溜まり場として大切なところ。広州の若者もこういう場所がないと、自己発散に困ってしまうだろうと思う。最近はファッション関係で上下九路がホットスポットになっているとのことですが、「ファッション」はやはり若者を引き付けています。そして、広州市内のいろいろな場所を見ても「若者が集まるこの地域が一番元気いい」そういう実感をもった北京路でした。

さて、もう、午後も後半になったのでホテルに戻ろうと、またバスで北西方面に行く。ホテルまで歩いて帰れる距離に来たので適当に降りるとちょうど、広州流花湖公園に来たので5元の入場料を払って入りました。この公園はかなり大きくて東京武蔵野の吉祥寺公園の5倍くらいありそうです。花と木が豊富ですごく楽しめた公園でした。ただ、何とかという企業が公園内での営業を仕切っているらしく、そこが白いお城状のホテルを湖に建設している。これはいかがなものか、と感じながら公園をでたのでした。

公園に入ったのは午後2時半頃でしょうか。その時から、遠くで雷が鳴っていました。雷は雨が降るサインですが、まだまだこないだろうと、ゆっくり公園を歩く。公園をでて、駅前横路を歩いているとぽつぽつと雨が降り始めたのが3時25分。これは危ない、と思い小走りにいつもの藍&海に入る。何せビールを飲みたい。青物一品とビール一本注文し、店の入り口に向いた一人席に座って一服したそのときです。

もう、ホント、びっくり、びっくり。座って2分もしないうちに雨が本降りになり、雷の音が近づいて、北東からの風も吹きだす。そして更にびっくりしたのは3時40分頃には町中が真っ暗になってしまったことです。あの明るい灼熱の太陽が照りつける広州が夜中のように真っ暗になってしまう。車はゆっくり走り、人は誰も歩かない。この落差にはびっくりしました。これも4時頃には明るくなり、少しずつ町が動き出す。4時半には小降りになり普通の町の状態になったので、僕も精算して(12元でしたが)ホテルに戻った。これはいい経験でした。

雷雨と風と暗闇の広州、その時に雨宿りの食堂で2日間の広州の印象を整理でき、この広州も今日で終わりだな、なんて考えながらホテルにもどった昨日でした。
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by xiyuannei | 2004-08-12 08:50 | 旅・留学の雑感あれこれ